しかし、アイヌの青年は「和人の使っているようによく切れる刃物を手に入れたい」と思って、 和人の鍛冶屋に注文したのです。ところが、「注文した刃物がなまくらで、全く使い物にならない」 というので、鍛冶屋との言い争いになったのでした。そんなときには「売り言葉に買い言葉」に なります。和人の鍛冶屋は「そんなに切れないというなら、これでおまえを突き殺してみせる」などと 言って、そのアイヌの青年を突き刺して殺してしまったのです。 これは個人の喧嘩であるようですが、その背後には、和人とアイヌの争いがあったことは確かです。 鍛冶屋は安東家の指図(さしず)に従って刃物を渡すのを拒否し、アイヌの青年はその「禁制 (きんせい)の刃物」を何とか入手しようとした争いだったからです。 それにしても、それまでの間、安東家の人々は北海道でどのように暮らしていたのでしょうか。 彼らは、それまでの商人たちのように、アイヌ人と平和に交易することもあったでしょう。 しかし、ときにはその武力によってアイヌ人をおどして物を強奪したり、不当な利益を上げることも あって、アイヌの人々から嫌われることもあったことでしょう。 そこで、安東家の人々は東北地方からの追っ手を恐れるだけでなく、周辺のアイヌ人たちの襲撃も 覚悟しなければなりませんでした。 安東家の主力は、北海道に逃げ込んだ2年後には、再び東北地方北部の領地を回復して、帰国する ことができました。しかし、そのとき安東家は北海道の支配を続けようとして、北海道南端の地域を 3つに分けて、家来をそれぞれの代官にして支配させ、豪族たちに「館(たて)=とりで」を 築かせました。それで北海道の最南端の海に面したところに、12もの「小さい城=館」が築かれ ました。いま北海道第3の都会になっている函館(箱館)もその一つの館でした。 ススム |