また、新造艦艇を条約の制限内に納めるための無理な設計の結果、日米では重心があがった「トップヘビー構造」の艦が建造され、日本国内で「友鶴事件」・「第四艦隊事件」(強風にあおられて艦艇が転覆した事件)を引き起こす原因となりました。

1935年(昭和10年)12月第2回の会議が開催されたが、日本は翌1936年(昭和11年)1月15日 に脱退、軍縮時代に終止符が打たれ、アジア・太平洋戦争へと進んでいった。

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