Louis XVII
(1785年3月27日 - 1795年6月8日)
悲劇の王子、「ルイ・シャルル」は3月27日に「マリー・テレーズ」
「ルイ・ジョゼフ」の弟である第二王子として生まれました。
しかし、1789年7月14日、シャルルが4歳のとき兄のジョゼフは死んでしまいました。
その結果、シャルルが王太子となりました。
彼の悲劇はここから始まったのかもしれません。
6歳のとき、ヴァレンヌ事件が起こり、7歳のとき家族共々ダンブル塔に幽閉されます。
そして、8歳のとき、父のルイ16世が処刑され、
シャルルは国王となります。
その後、家族から引き離されて「靴屋のシモン」に預けられました。
シモンの家でシャルルは虐待されていた、と言われていますが定かではありません。
母であるマリー・アントワネットが処刑されたあと、シャルルはダンブル塔に1人で幽閉されます。
彼は9歳でした。
そして1年後、シャルルは病気になり、わずか10歳で激動の人生の幕を閉じます。
しかし、
「ルイ・シャルルは死んでいなくて、ほかの子供の死体を身代わりにして逃げた。」
という説は長い間語り継がれていました。
その理由は、彼の死体が10歳のものとは見えなく、15歳ぐらいのものに見えたということ、
そして、民衆のやりすぎたという悔恨から伝播したのだと思われます。
2000年、ついにサンドニ教会にある「ルイ・シャルルの死体」とされるダンブル塔にあった死体の心臓をDNA鑑定すると、
マリーアントワネットの遺髪のDNAと見事一致しました。
しかし、心臓の保存状態は悪く、果たしてこれが本当に真実なのかは分かりません。
どちらにしても、死んまでも人々に弄ばれてきた彼は、これでようやくゆっくりと眠れるようになりました。