出身

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●誕生

マリー・アントワネットは、1755年11月2日神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世とオーストリア女帝マリア・テレジアとの間の15人兄弟の末っ子としてウィーンでのシェーンブルン宮殿生まれました。
11月2日はキリスト教では死者を祀る「万霊節」の日にあたります。また、マリー・アントワネットが誕生したその日はリスボンで大地震があり、数千人がなくなった日でもあります。


●家族

父親<フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン>
マリーアントワネットの母マリア・テレジアと結婚したフランツ・シュテファンは テレジアとの身分違いも甚だしいお婿さんだったので宮廷人や国民からもよそ者扱い されたり馬鹿にされたりと苦労が絶えなかったようです。
しかし、フランツ・シュテファンは明るく楽天家で快楽主義のような性格だったので そのことにより塞ぎこむようなことはありませんでした。政治や経済、軍事などに対しては まったく才能がなく、すべて妻任せでしたが財産を貯蓄する才能がありテレジアの父カール6 世から受け継いだ莫大な借金は彼の代に清算され、かわりに多く蓄えたといわれたと言われて います。



○母親<マリア・テレジア>

ウィーンへ留学に来ていたフランツ・シュテファンに恋をし、政略結婚が習慣となっていたがフランツ・シュテファンはテレジアの父カール6世にも気に入られめでたく結婚することができた。
あまり関心がなく能力もなかった夫に代わり天性の政治能力を発揮しつつ、夫との間に16人の子 をつくり、10人の子を成人させました。16人の子を生んだということは、政治をしているほとんどの間妊娠していたということになります。
そんな有能なマリア・テレジアでしたが、唯一の悩みは夫の浮気でした。
浮気防止も兼ねて、自分の宮廷を道徳的堅固なものにしようとしたそうです。

マリア・テレジアは子供へのスパルタ教育でも有名です。
たとえば、「好き嫌いを許さない」「親には絶対服従する」「何者も恐れてはいけない」などがあります。マリー・アントワネットはひどく魚が苦手でしたが、金曜日と土曜日と祝祭日は必ず魚料理が 出されたりするなどの教育がなされました。



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