明るく陽気な少女

明るく陽気な少女


末っ子のマリーは両親と兄姉の愛情に包まれ明るく陽気な少女に育ちます。
そんな彼女の唯一の欠点は勉強嫌い。11歳になってもドイツ語とフランス語を習得できなかったみたいです。
現代の子供と変わらない子供らしい欠点ですね。
やがて彼女が14歳になったころ、当時の習慣通りフランス皇太子と政略結婚をしました。
この結婚には、ヨーロッパの平和が賭けられていたのです。
マリーが生まれたころのオーストリアはまだ力を維持していたのですが、1740年 オーストリア王(神聖ローマ皇帝)のカール6世が死去。それによって男子が絶えてしまった名門ハプスブルク家はその娘マリア=テレジアが即位させます。
しかし、皇帝位相続権についてバイエルン公やスペイン、フランス、プロイセン、ザクセンなどが反対したため、オーストリア継承戦争(1740〜48)が勃発。
8年にわたったオーストリア戦争はプロイセンの勝利、アーヘン和約により石油資源が豊富で工場地帯として重要なイレジア地方を奪われてしまいます。
マリア・テレジアは生き残るため末娘をフランスに嫁がせる決意をしました。


マリーは美しいブロンドの髪、白く滑らかな肌に愛らしい容姿の持ち主でした。
そんな彼女の性格は優しく親切、優雅、明朗快活。マリーの優しい性格はモーツァルトにプロポーズされたエピソードから想像できそうです。転んだモーツァルトに手を差し伸べたマリー・アントワネットに「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と言ったエピソードはとっても微笑ましいと思います。
その一方で軽率で目先の快楽ばかりを求め先のことを考えることができない、遊び好きな部分がありました。
そんな娘の性格を熟知していたマリア・テレジアにとって不安は尽きません。
しばしばフランスに嫁いだ彼女に手紙を書き、軽率で快楽主義な性格を心配し、無駄な出費をしないよう諭しました。
そして、政治には口出ししてはいけませんと忠告しています。



マリーがフランスへ向けて旅立ったのは1770年4月21日。
ヴェルサイユ宮殿での結婚式は5月16日に行われ、翌日開かれた祝宴には二万人の客が招待されました。


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