近世の富士山




 1707年10月28日、東海道・南海道に大地震がありました。12月15日には山麓に地震30回、16日午前10時ころに噴火が始まりました。江戸では同時刻頃、強い空震があり、夕方から降灰が始まりました。白灰色の灰が1cmぐらい積もり、18日には黒い灰が雨のような音を立てて降りました。噴火は8日間激しく噴火し、以降次第に衰え、翌年1月1日の夜9時ごろ激しく振動して噴火が止んだのです。この噴火は従来のハワイ式噴火ではなく、溶岩をほとんど流さず、多量の火山灰や火山弾を放出した
ブルガノ式噴火でありました。



現在の富士山は宝永の噴火より約300年沈黙しています。その間、人間の文明が発達し今の富士山は観光のメッカになりました。きれいな放物線を描いた円錐型の稜線、天下無双の高さを持った単独峰、いずれも数十万年の時を経た結果であり、尊くもあります。日本人ならずとも海外の方にも良く知られた存在で、毎年数十万人もの登山者が富士山に挑んでいます。富士五湖は冨士山をいっそう気高く魅せる舞台装置のようであります。しかし、決して忘れてはならないのは、富士山は青年期の火山であるという事実です。もし再び噴火すれば、甚大な被害は避けて通ることは不可能なのですから。



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ブルガノ式噴火
爆発にともなって火山灰、火山礫、火山岩塊を大量に噴出する火山のことをいいます。日本の火山はこの噴火が最も多いです。