錬 金 術 の 歴 史  第二講


2−4 錬金術の衰退
 十七世紀後半、フランスの哲学者であるルネ・デカルトの打ち出した近代的合理主義に世間が感化されていくと共に、ラボアジェにより疑似科学と化していた錬金術は徐々に消え行く事となる。(ただし、デカルト自身は直接的に錬金術について否定も肯定もしなかった。
 この時期にはまだ辛うじて錬金術師と呼べる人達が存在していたが、彼らの多くは化学としての錬金術部分のみを研究するようになり、後に化学と合一して本当の意味での化学となった。また、J・クンケルという面白い人物が登場したのも十七世紀である。
 彼は本来錬金術師であったが、多種多様な多くの実験を重ね、その全てが失敗に終わってしまったためついには錬金術の完全否定派になってしまったのである。彼はその実験過程で燐を発見するなど、化学の重要な発見をした。
 逆に、十七世紀の科学者として有名なアイザック・ニュートンや、ロバート・ボイルなどは部分的にだが錬金術を肯定し、黄金錬成の可能性を信じていた事は知るべきであろう。

 十八世紀になると既に錬金術はほとんど消滅し、化学が勢力をつけてくる。フロギストン説をラボアジェが否定したのもこの時代である(フロギストン説については第一講の三 化学と錬金術 を参照)。ラボアジェについては こちら で詳しく説明している。
 よって、十九世紀になる前に本格的な錬金術研究は終息したと言ってよい。しかしながら、第一講の四「 現代の錬金術 」で紹介した通り現代でも錬金術は生きている。
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