錬 金 術 の 歴 史  第二講


2−3 ヨーロッパでの錬金術の発達
 ヨーロッパでは十三世紀から十七世紀前半にかけて錬金術が大きく発展した。この発展により、技術であった錬金術から現在の錬金術の体系に進化したと言える。むしろ中世ヨーロッパでは化学的な面ではなく、哲学的な面のみが著しく発達したといっても過言ではない。
 また、西ヨーロッパでは十二世紀から錬金術研究が進み、数多くの文章が十二世紀に現れた。これらの文章群はヘルメス文章と呼ばれ、当時はヘルメス神が作った文章とされていたらしいが、実際には作者不明、もしくは筆者が意図的に自身の名前を伏せた、錬金術に関する研究書だと思われる。

 十三世紀には当時ヨーロッパで最大勢力を誇っていたキリスト教の異端審問(異端審問自体は十一世紀から本格化している)を避けるために自然科学、もしくはキリスト教の教理と対立しない天啓思想の様相を呈した。錬金術とは本来、エジプトとギリシアの神に関わりがあるためキリスト教からすれば邪教である。その為、バチカンの目を誤魔化す必要があったのだ。
 また、おもしろいことに有力なキリスト教の聖職者が錬金術に興味を持ったことも原因にあげられる。例えば、時の有力者三十三人で構成される「カトリック教会教会博士」の一人である聖トマス・アクィナスは、カトリック教会と聖公会で聖人の位を持ちながらも「錬金術が魔法の域にならない限り、これを合法の学問とする。」とした。何故なら彼はキリシタンなので本来の錬金術を表だって信望することはできなかったのである。
 また、カバラ(旧約聖書、特にユダヤ教の伝統に基づいた神秘主義思想)の一部を取り入れる試みがあったのもこの時期である。
 ついでに、この時代の最先端科学技術に親しんでおり近代科学の先駆者とも言われるロジャー・ベーコンも科学的金属変成に関心を寄せていた事も表記しておく。

 十四世紀からは哲学的側面や、神智学(様々な宗教や思想を一つの真理の下で統合することを目指している思想哲学体系)的な傾向が強まり、アルス=マグナの基礎が確立されたのもこの頃である。

 十五世紀には西ヨーロッパで魔術の存在が広まった事も影響し、天啓思想(超自然的な物からの神託を教義とする哲学)に基づいたある種の秘教となっていった。この時代、アルス=マグナを目的とする錬金術師の硬派な一部は既に地に潜っており、彼らの内容もより分かり難くなっている。何故なら邪教の教えが基礎となっていては魔女狩りの対象となるからだ。一方、多くの錬金術師たちは、実際に黄金錬成を目的としていたかはともかくとして、錬金術を「黄金を作り出すための研究をする学問」という様な形にし、私利私欲に眼の眩んだ有権者、聖職者相手に活動を続ける事ができた。
 当時は「黄金錬成を研究している錬金術だ」と言えば、明らかな邪教崇拝のない限りある程度は教会も許容したらしい。当然、教会を騙しつつ、もしくは教会から隠れながら哲学的錬金術を研究していた錬金術師も数多く存在している。

 十六世紀になると、現代の化学に繋がる研究論文が出始めた。だが、それにも増してヘルメス思想が発展を遂げた時代でもある。
 この時代の錬金術においてはパラケルススの存在が非常に大きい。彼は現在の錬金術理論の基礎を創りあげ、同時に錬金術による黄金錬成を否定した。パラケルススは錬金術の医学への応用など、実用的な方面へ錬金術を使おうとしていた。パラケルススについて詳しくは こちら
 また、パラケルススの思想は十七世紀に誕生する魔術結社「薔薇十字団」の基本理念にもなり、フリーメーソン思想の基礎になったと見られる。

 十七世紀はキリスト教の魔女狩りも幾分かは落ち着いてきて、アルス=マグナの概念が日の目を見ることができたのもこの頃である。だが、何と言っても十七世紀からは薔薇十字団の活動が非常に大きな役割を果たしている。
 薔薇十字団はドイツで発祥し、西ヨーロッパ全域に活動範囲を広め、「完全で普遍的な知識」を求める事を理念とし、賢者の石より万能薬を求める事に傾倒して、アルス=マグナの完成形へと近づいた。

 しかし十七世紀後半になるとデカルト哲学が力をつけてきて、錬金術が否定され始める。

 次ページでは錬金術の衰退から現代にかけて紹介する。
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