Section3. 歴史

このページでは、パラスポーツの起源とパラスポーツを語る上では欠かせないパラリンピックについて紹介します。なおこのページでは全てのパラリンピックを紹介するわけではなく、1部抜粋して紹介します。そのため全ての大会について書いているわけではありません。

では、パラスポーツの歴史やパラリンピックをより知っていってください。

パラスポーツとパラリンピックの起源

パラスポーツの始まりは、障がい者が運動をし始めたのを起源とすると紀元前までさかのぼります。一般的にパラスポーツと呼ばれることが始まったのは、1888年ドイツで障がい者のためのスポーツクラブができた頃です。
そして、パラリンピックが国際競技として直接始まったのは、1960年ですが、パラリンピックのもとになった障がい者の大会は、1948年ロンドン郊外のストマーク・マンデビル病院内で開催せれたアーチェリーの競技大会であり、ルードヴィッヒ・グッドマン医師の提唱によって第2次世界戦で主に脊髄を損傷した兵士たちのリハビリとして行われたものです。
ここからは過去のパラリンピックの歴史について書いていきます。

パラリンピックの始まりの第1回大会~ローマ~

第1回大会はイタリアのローマで1960年に行われ、この大会には全部で23か国約400人が参加し、8競技57種目が行われました。ちなみに、この大会では日本は不参加だったようです。この大会では、イギリス・イタリア・ベルギー・フランス・オランダの5カ国で国際ストマーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が設立されています。このISMGCは、オリンピックが開催する年だけオリンピック開催国でオリンピックが終わったあとに実施することを表明しています。

2部制で行われ愛称がついた第2回大会~東京~

第1回大会では車椅子使用者だけだったのに対し、東京で行われた第2回大会では、全身体障がい者も大会に参加できるようにするために、2部制で行われました。第2部制のうち1部は、第1回大会と同じように国際ストマーク・マンデビル競技大会であり、第2部は、全身身体障がい者の日本人と西ドイツの招待選手で行われた国内大会だったそうです。したがって、2部制でしたが、実際に第2回大会と呼ばれているのは、第1部の国際ストマーク・マンデビル競技大会だけです。
そして、この大会で実施された種目や競技は9種目144競技に及び、大会参加者は375人に上ったそうです。日本では、この大会をきっかけに障がい者スポーツが広く認知されるようになったようです。ちなみにパラリンピックという名は日本でつけられたものです。

国際身体障がい者スポーツ大会への発展~カナダ・スウェーデン~

モントリーオールオリンピックと同じ年に開催されたトロント大会では、今まで出場者は車椅子使用者だけだったのが、脊髄損傷者や視覚障がい者、切断の選手も参加できるようになりました。そのため参加者は前回のハイデルベルクパラリンピックの1004人から1657人にまで増えたそうです。また、この大会は国際ストマーク・マンデビル競技連盟(ISMGF)と国際身体障害者スポーツ機構(ISOD)の共催で行われ、愛称トロントリンピアードで呼ばれています。この大会と同じ年にスウェーデンで行われた大会は、切断者だけで行われました。

正式名称がパラリンピックに~韓国~

大会の正式名称がパラリンピックになったのは、1988年に行われたソウルオリンピックです。第2回以降オリンピックとパラリンピックは別都市で行われていましたが、この大会を期に、夏季パラリンピックは同都市で行われるようになりました。ちなみに、冬期パラリンピックが同都市での開催になるのは、1992年のアルベールビル大会からです。さらにこの大会では、名前が決まっただけでなく、シンボルも誕生しました。しかし現在は、このシンボルはリレハンメル大会から、赤、青、緑に変更されています。少しシンボルについて触れると、今使われている赤、青、緑には意味があり、赤は心、青は肉体、緑は魂を表していて、この3つの意味と色が人間を構成する大切な要素であるとされていたことからこのようなシンボルになったそうです。

IPC(国際パラリンピック委員会)の設立

これまでは、国際ストマーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が事務を行っていましたが、1989年にIPU(国際パラリンピック委員会)が設立され、事務は14人からなる専門チームに引き継がれました。

IPU設立にともない、パラリンピックは機会均等と完全参加、障がい者スポーツのエリート性を表す言葉になりました。IPU本部はドイツのボン市に設立され、初代会長はロバート・D・ステッドワード博士が務めました。

オリンピックとの協力関係

2000年に行われたシドニーパラリンピックでは、国際パラリンピック委員会の代表と国際オリンピック委員会の代表で話し合いが行われ、「オリンピック開催国は、オリンピック終了後にパラリンピックを開催する」という基本事項に合意し双方の協力関係が深められました

また、1年後にスイスで2度目の話し合いが行われ、1度目の基本事項の確認だけではなく、より詳細な協力関係について話合われました。こうしてパラリンピックは、もう一つのパラリンピックや障がい者のオリンピックとして発展しています。

コロナ禍での異例の大会(東京)

今年(2021)度、夏季16回パラリンピックが東京での2度目の開催がされました。今回のパラリンピックはオリンピックと同じくコロナの影響で初の延期が行われ、大会は開催されましたが、感染者の増加により無観客で行われました。

ですが競技はうまくいき、日本でもテニスで国枝選手が金メダルを取るなど、金メダル13個、銀メダル15個、銅メダル23個を獲得しました。
ただ問題点もありパラリンピックではクラスターが起こりませんでしたが、オリンピックでクラスターが発生したり、選手村のベットがダンボールであったりと、改善するべきところは多くありました。しかし、コロナ禍のオリンピック・パラリンピックとしてはモデルになるパラリンピックになりました。

まとめ

いかがでしたか?
今回全ての歴史やパラリンピックを紹介できたわけではありませんが、少しでもパラスポーツについて理解してもらい、障がい者の大変さやそれでも頑張って生きている障がい者の方々について知ってもらえればと思っています。もし、これを読んでパラスポーツに興味が出たり、障がい者の方々について知ってもらえれば、是非パラスポーツを体験してみたり、困っている障がい者の方に協力してあげてください。ここまで読んでいただきありがとうございました!
ぜひ他のページも読んでいってください!

参考資料

オリンピック・パラリンピック まるごと大百科
監修 真田 久(筑波大学教授) 学研プラス



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