まずは先ほど話題に出ていたキリスト教の考えから見ていきましょう
キリスト教で偽善について書いてあるのはマタイによる福音書の第23章です。
この資料からわかることは何でしょう?
イエスが法律学者とパリサイ人を偽善者だと言っている…?
そうです!
ここから、イエスは ”外側は正しく見える=信仰している” ようにみえるが、
”内側は貪欲と放縦でいっぱい=偽善と不法” であると言っていることがわかります。
結局は辞書にあった「善人に見せかける」と同じってことですか?
その通りですね。
また、同じ章でイエスは群衆と弟子にこう言っています。
ここから、偽善者は「善人のように良く言うだけで実行しない」という意味でとらえられます。
よく言われる、口だけ達者というものですね。
じゃあキリスト教においての偽善は”言行不一致であること”を指すんですね!
実はそれだけではないんです。
”行動している偽善”もあるんですよ!
この「施し」というのが善の行動で、イエスはわざと人の前でやるのが偽善だって言いたいのか!
正解!イエスが偽善者だと批判する理由は人からほめられるようにやっていることです。
これだと本来の施しの意味が自分の善人をみせつけることにかわってしまいます。だから、イエスが批判しているんですね。