<2014.10.7.チーム170236制作>

ガタロ 【河太郎】

別 名 ガタロウ、ゴウラ、ゴウラゴ、ゴウラボシ、河童、川太郎、ガロ、ガロボシ、ガラボシ
出没地 十津川村、野迫川村、川上村、下市町
容 姿 ○頭にすり鉢をかぶり、子供のしりの骨を抜くのが上手であった。頭に皿をかむった猿のようなガタロを見た者もいる。(※1)
○出水時に大石の上に蓑笠を着た人が立っており、川中へ飛び込んで川滝の方へさっさっとのぼっていくのを見た。(※2)
○手は黒くてしわしわで指の間に水かきがあった。(※3)
○身の丈は子どものようだった。普通の男の人よりは少し小さい。(※4)
出没方法 ○ガタロは魔物なので水三合あれば居るという。弓手原(野迫川村)の春日神社の下の渕を字ガタロウという。エンド豆の煮たものをもっていると、ガタロに尻の穴を抜かれないという言い伝えがある。(※1)
○特に川水が濁っているとゴウラがいると言って、子供の水遊びを禁じている。ガタロの好きな胡瓜を食べて川漁に行くなという言い伝えもある。(※2)
○古い池などには、「ぬし」というものが棲んでいる。人を引くと言われるので、一人では近づくなと教えられている。また、池にはガタロが棲んでいて、水に入った人の尻の穴を吸うと言われる。昔は、瓜の初なりを川に流しておけば、その家の子供はガタロに狙われないとして、よく流した。(※5)
○(大滝)ダムの工事で切られてしまったけど、(白川渡の)国道下に目通りで回りが8尺からある赤松の古木があって、「ガタロ松」と呼ばれていた。ここには、この松が枯れるまで出てくるなと言い渡されたガタロが封じ込められていて、「この木を触ったらあかん」とか「この木を切ると祟りがある」と教えられてきた。(※8)
○ガタロは大塔さんに祀ってあります。小宮さんの横に。「河伏さん」と呼んでいます。
 この辺にも、ガタロがよく出たようです。ガタロによく似た河童の形をした石を祀って、この石が腐るまで出てくるなと封じ込んだそうです。(※8)
事 例 ○下市の町の中ほどに瀧上寺という寺がある。その裏の川は大きなよどみになっていて、そこを「銚子の渕」とよんでいる。この渕には一匹のガタロが住んでいて、子供が遊びに来ると、川の中へ引きずり込んだり、お尻に吸い付いたりしていたずらをしたので、みんなこわがっていた。しかし、この銚子の渕は、とてもいい遊び場だったので、「こわい、こわい」といいながらも、子どもたちは、夏になるとよく泳ぎに行った。親たちは、子供が泳ぎに行く前に、この銚子の渕に胡瓜二本を持って行って、「さあ、キュウリやで。子供たちに悪いことせんといてや」といってガタロにたのんだ。(※3)
○入之波(川上村)に力の強い一人の男がいて、川で出会ったガタロと相撲をとって勝った。そのときの約束で、それから毎日朝起きるとザルにいっぱいの魚を持ってきて家の入り口に置いてある。またこの男が相撲に勝ってからは、この谷にガタロは棲まなくなり、夏でも水死するものがなくなったし、ガタロに尻を抜かれることもなくなったという。(※5)
○入之波に辻本半一郎(はいちろう/過去帳によると没年は1699年)という大変な力持ちがいて、ある晩、村内の長殿(伯母谷川の出合にある長殿橋から上流)で投網を打っていた。用心のために褌に小石を入れていたら、水の中からちょっちょっと手を伸ばす者がいて、それをつかんでオカへ引きずり上げたら、ガタロが「こらえてくれ」と手の甲をこすって謝った。そこで「そんな人の尻を取りに来るようなものは助けん」と言うと、「ここから上へは絶対に上がらん。助けてくれたら、門口に何人前と書いてビクを吊っておけばきっと魚を入れておく」と言ったので放してやった。それからは度々魚を入れておいてくれた...。
 ガタロが捕まえられた時、ヤマイモをナガシの土間でごしごしこすって出来物のできかけに貼ればきっと効くと教えていったのが辻本家の秘伝となって、今でももらいに来る人がいる。ただしこの術は、同家で生まれた者(他家へ嫁いだ女でもよい)に限るという。(※6,7)
 入之波の氏神社の境内には「河勝さん」と呼ばれる祠があり、河勝大明神が祀られている。これはガタロを懲らしめてくれた辻本半一郎さんを祀ったものである。(※6)
○昔、祐玄(ゆうくろ)という人が便所に入っていると、突然下からニュウっと氷のような冷たい手でお尻をなでるものがあった。祐玄はその手をつかんで、持っていた刀でその手を切り落とし、家に持って帰った。しばらくすると、17,8歳の美しい娘が片手を袖にかくしながら訪ねてきて、ワタシの手なので返して下さいと謝った。祐玄は何も言わずに返してあげたが、その後娘がまたお礼にやってくると、手はもとのようにくっついていた。祐玄は、「どうしてそんなに見事に手をつなげたのか」と聞くと、「ワタシは切り傷の特効薬を知っている。お礼にその妙薬の作り方を伝授しよう」と、詳しく教えて立ち去った。娘と思っていたのは、ガタロが化けていたのだった。秘薬は「蒲生錦草祐玄湯」という名で、今も伝えられている。(※9)
○榛原檜牧小字高星(宇陀市)の小阪平峠の下を流れている宇陀川でのことである。200年ほど前、長崎で蘭学を修めた五右衛門という医者がいて、村の夏休み、弟と宇陀川へ漁り(すなどり)に出かけた。渕まで来ると、三尺余りもの鯉がいたので、よい獲物だと川へ一足入れるや否や、五右衛門は水底深く吸い込まれてしまった。弟も続いて飛び込んだが、兄同様に引き込まれてしまった。これ以来、この渕を五右衛門渕と呼び、6月18日には河童が魚に化けて人の血を吸いに来るから、川行きはならぬと戒められている。(※10)
アクセス
下市町瀧上寺(外部のページへ)
原風景
瀧上寺裏の秋野川(通称銚子の渕) <2014.11.15.チーム170236撮影>
水深は深く青緑に淀んだ渕がいくつも連なり、いかにも魔物が棲んでいそうな雰囲気が、今なお漂っています。
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 ガタロには、頭に皿のようなものがあり、キュウリが好物であるとか、全国的な河童の特徴とよく似ています。また、ガタロは奈良県内における河童の名称で、ガタロウ、ゴウラ、ゴウラゴ、ゴウラボシ、川太郎、ガロ、ガロボシ、ガラボシなどとたくさんの呼び方があります。
 ガタロがいるとされている瀧上寺の裏の川に行きますと、水深は深く深緑に淀んでいて、いかにも魔物が潜んでいそうな気配を感じました。「こんな場所では、子供は絶対に泳いではダメ」と言い聞かせるのに、ガタロを持ち出したのではないでしょうか。このように、子供への戒めが背景になっているように思います。
【実体・モデル】
 奈良県の吉野川にも、かつてニホンカワウソが生息していたようですが、今でも生存の可能性を求めて、探している人もいます。このニホンカワウソを河童と見間違ったとされる説が全国的にも多いようです。はたして、ニホンカワウソはキュウリが好物だったのでしょうか。
【現代人との係わり・存在感】
 瀧上寺(下市町)の裏の川に、ガタロの渕を見に行った時のことですが、通りがかったご高齢の女性に話を聞きますと、「この裏を銚子の渕というて、昔、ここ(瀧上寺)のお坊さんがオシッコに行った時に、お尻をガタロになぜられた」という話が残っていると教えていただきました。でも、他の方は、知らないと言っていました。もはや、ガタロもニホンカワウソ同様、絶滅寸前でしょうか。
参考文献 ※1)野迫川村史編纂委員会『野迫川村史』(S49.9.20.野迫川村役場)
※2)奈良県教育委員会事務局文化財課『十津川村史』(S36.5.20.十津川村役場)
※3)奈良の伝説研究会編『奈良の伝説』(S55.9.25.日本標準)
※4)竹原威滋・丸山顯コ編『東吉野の民話』(H4.12.10.東吉野村教育委員会)
※5)澤田四郎作・編輯発行者『大和昔譚』(S6.10.25.)
※6)『入之波地区民俗資料調査報告書』(1968.3.川上村)
※7)保仙純剛著『日本の民俗・奈良』(S47.11.5.発行:第一法規出版)
※8)広報「かわかみ」編集委員会『川上村昔ばなし』(2007.3.吉野郡川上村)
※9)大塔村史編集委員会『大塔村史』(S54.12.1.大塔村役場)
※10)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会)