<2014.12.21.チーム170236制作>

ほいほいび 【ホイホイ火】

別 名 ジャンジャン火、ザンネン火、火の玉、人魂
出没地 天理市柳本町東方の竜王山の十市城の跡
東吉野村、 奈良市法華寺町の一条通りの北側
容 姿 ○高橋堤(法華寺町)のアイガエシの藪の西で、雨が降る夜は決まったようにジャンジャンと火が出て、合戦をしたという。長い尾を引いた青い火の玉で、よく見ると火の中に年輩の男の顔が映る。それは奈良時代に恨みをのんで死んだ公卿の怨霊だと伝えられている。このジャンジャン火を見たために熱を出して死んだ人もあったと伝えられる。(※1)
○直径50センチぐらいの真赤な火の玉が、30メートルぐらいパッと上がった。(※3)
○昔の帯の幅ぐらいで、七色の赤とか青とか黄色とかちょうど虹と同じ色の玉が、クルクルクルクルっと回ってまた降りて消えた。(※3)
出没方法 ○天理市藤井町あたりで言うには、十市城から毎年怪しいヒトダマが西へ飛び、ザンネン火ともジャンジャン火とも言う。火の玉の大きさはたらい位あって、一丁の距離までジャンジャンと火の燃える音が聞こえ、家の門口でも通ると、家の中の蜘蛛の巣や障子の塵までわかる。
 元来、十市山にはゴロという生き物がいて、太さと長さは同じくらいで、目も鼻もない。これが人を見るとすぐ飛んでくるのだが、夜はジャンジャン火になるのではないかと言われている。(※2,5)
○旧巻向村(桜井市)では、もしそれに向かって「オ〜イ」と呼びかけると、ジャンジャンと音を立て、だんだん火の玉は大きくなりながら追いかけてきて、火の玉を呼んだ者を焼き殺してしまうという。これをホイホイ火と名付けている。
昔、一人の武士がその火の玉を退治に行ったが、兜にかみつかれて死んだ。相撲取りも退治に行って、体一面、蜘蛛の糸のようなものに巻かれて死んだ。(※2,5)
○夏の夜など、水を仕掛けに田んぼに行くと、時々ジャンジャン火にあうという。直径1尺余りの火の玉がくるくると舞いながら、激しい勢いで地上3〜4尺の上を走ってきて、これに衝突すれば死ぬという。この火を見たら直ちに伏せて、身動きしなければ、2〜3回頭上を回って走り去る。(※4)
事 例  天理市柳本町東方の竜王山に十市城の跡があり、十市遠忠が天正年間、松永弾正に攻められ憤死したところである。その恨みが今も残っていて、今にも雨が降りそうな夏の晩、この城の跡に向かってホイホイと二度三度叫ぶと、城跡の方から火の玉が飛んできて、ジャンジャンとうなりを立てて消え失せる。これを見たものは、2〜3日熱にうなされるという。村人たちは、この火をホイホイ火とも、ジャンジャン火とも言って、たいへん恐ろしがっている。(※1)
アクセス
竜王山十市城 (外部のページへ)
原風景
十市城(南城)跡
龍王山(十市城跡)より大和盆地
<2014.11.15.チーム170236撮影>
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 ホイホイ火は、別名ジャンジャン火、ザンネン火とも言われていますが、全国的によく知られる火の玉や人魂のことです。天理市や奈良市法華寺町に残っている話には、恨みをもって亡くなった人の怨霊だという共通点がありまうす。成仏できない人の魂が、人魂となってさまよっているという話ですが、その人魂に「ホイホイ火」や「ジャンジャン火」という名前がついているのはユニークです。
【実体・モデル】
 人魂は、いろんな原因・現象によって生じるものだと思われますが、とりわけ十市城のホイホイ火は、同じような場所で頻繁に見られているようですから、火の玉が発生しやすい何かしらの条件がそろっているのでしょう。
【現代人との係わり・存在感】
 ホイホイ火の主十市遠忠の十市城跡へ行ってきました。典型的な山城で、今は、ハイキングコースとして整備されていますが、立派な石垣や天守閣跡らしきものは見当たりません。したがって、人魂が出ても発見されそうにない山林です。この城跡で人魂が発生したというより、奈良盆地の人里に暮らす人たちが、十市城のあった山の方向に、よくホイホイ火を見たということでしょうか。
参考文献 ※1)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)
※2)仲川明著『子供のための大和の伝説』(S45.12.10.奈良新聞社)
※3)竹原威滋・丸山顯コ編『東吉野の民話』(H4.12.10.東吉野村教育委員会)
※4)澤田四郎作・編輯発行者『大和昔譚』(S6.10.25.)
※5)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会)