<2014.12.23.チーム170236制作>

くめせんにん 【久米仙人】

別 名
出没地 橿原市久米町(芋洗川、久米寺)
容 姿
出没方法
事 例  昔、吉野郡に竜門寺という寺があり、二人の男が籠って、神通飛行術を修得するための修業していた。一人は先にこの術を修得して仙人となり空にのぼったが、もう一人の久米という男も、遅れて空を飛べるようになった。吉野川を越えるとき、川で若い女が洗濯しているのに心を惹かれることもあったが、やっと芋洗川まで飛んできた。そこでもまた、雪のような白い脛の若い女が見えた。それを見た久米仙人はとうとう欲望がむらむらと起こり、その女の前に落ちた。すると、長い間修業して得た神通力は消え失せたが、その女を妻とし仲良く暮らした。
 当時、天皇は高市郡に都を作ろうとし、久米も使役に呼び出された。人夫どもが久米の顔を見て「仙人」と呼ぶのを聞きつけた行事官たちは、「そんなに偉い人だったのか。もと仙人とは恐れ入った。行いがよかったら、今でも仙術を使ってこの材木でも苦労せず簡単に運んでもらえたのに惜しいことだ。」と、笑い話にした。この様子を傍らで聞いていた久米は、一心発起して、再び霊験の習得を誓った。
 その日から久米は道場にこもって身心を浄め、食を断ち、七日七夜絶やさず礼拝恭敬し、心願をこめて祈り続けた。行事官らは現場に久米の姿が見えないのを知って疑いだしたが、八日目になると、たくさんの材木が南の空を飛び、都を造ろうとしている場所に積み重ねられていった。驚いた行事官らは久米に敬意を表し、天皇もよろこばれて、久米に免田三十町をあたえた。久米は喜んでその地に伽藍を建て、久米寺と呼ばれるようになった。(※1)
アクセス
いもあらい地蔵尊(橿原市) (外部のページへ)
原風景
     
  絵馬にも久米仙人の物語が(久米寺)
   
久米仙人(久米寺)   いもあらい地蔵尊(久米町)
橿原市久米町には「いもあらい地蔵尊」が祀られていますが、この付近に、仙人が女性に心奪われた芋洗川があったのでしょうか。現在、川らしきものはなく、用水路のようなものが残っていました。 <2015.1.6.チーム170236撮影>
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 奈良時代に役行者が修験道を開いて以来、今もなお行者たちが紀伊山地や金剛山地などで修行を行う姿を見ることができます。空を飛ぶことのできる神通力が得られるかどうかは別にして、厳しい修行を成就した選りすぐりの修験者を仙人と呼んだことでしょう。
【実体・モデル】
 修験者であれ偉いお坊さんであれ、それまでの厳しい修行によって得た能力や地位をなげうってでも、恋の成就を優先したという話は、とても人間味あふれるお話です。
【現在人との係わり・存在感】
 現代社会でも、仙人のような地位や能力をもった立場の人間はいますが、そのような完璧な人でも、大切な人や愛する女性のためにすべてを捨ててしまう人だっていることでしょう。そういう意味では、今も昔も変わりありません。
 江戸時代の大和(現奈良県)の観光雑誌であった『大和名所図会』にも、久米仙人のことが紹介されています。また、芋洗川があったとされる橿原市久米町には、今も「いもあらい地蔵尊」が祀られ、人々の間に語り継がれているようです。
参考文献 ※1)橿原市史編集委員会『橿原市史』(S37.5.15.橿原市役所)