<2014.12.21.チーム170236制作>

やまのかみ 【山の神】

別 名 イノカミ
出没地 奈良県全域(紀伊山地、大和高原、金剛山地等)
容 姿 山の神は蓑を着ている。また、空を飛も飛ぶが、その時は音が聞こえる。山の神は女の神なので、男のものを作って供えると喜ばれる。女は、山の神には参らぬものだと言う。(※2)
出没方法 ○サカキの木が2本同じ形にそろって並んでいたら、山の神の休む木だと言って切らない。空を飛ぶ時は音が聞こえる(※2)
○山の神と海の神とが、山の木と海の魚の数を争ったことがあり、山の神は同じ木をサルスベリ・サルタ・アカギなど何度も数えずるをしたが、それでも海の魚のほうが多くて山の神が負けたという。(※2)
事 例 ○上湯川の向こうの小又川(紀州日高郡)の奥へ、日雇衆(ひょうし)がおおぜいで山仕事に行っていた。まじめに山小屋で炊事係をしていた若い男は、朝晩飯を炊く度に山の神に御供えをし、「般若心経、般若心経...」とだけ唱えて拝んでいた。ある晩「般若心経出てこ〜い〜」と遠くで叫ぶ大きな声が聞こえたので、日雇衆らは恐ろしくなって、その炊事係を外に押しだした。すると、どこからともなく「私が案内するので、心配せずについてきてください。」という声がし、炊事係は導かれるがままに上湯川の我が家へ歩いて行った。その後、山小屋に大きな石がまくれ、日雇衆らはみんな死んでしまった。この話を聞いた村人たちは「山の神の導きで、炊事係は命が助かったんだろう」と噂をした。(※3)
○六兵衛という猟師が大台ヶ原の大蛇ーまでスクリの木をとりに入り、夜たき火をしていたところ、40歳ぐらいの女が立っていた。「ご飯をくれ」と言って櫃にのった麦飯をみるみるうちに食べてしまい、さらに「酒をくれ」と言って、六兵衛の五升樽を飲み始めた。そこへ突然、同い年くらいの女が来て、二人の女が無言でにらみ合ったが、あとから来た女がすっと消えた。するとたちまち天地が揺れ、酒飲みの女は消え、大きな白髪白髭の老人と後から来た女が立っていた。前の女は鬼で、後の女は大台ヶ原山の神、老人は弥山大神であったという。(※4)
アクセス
大台ケ原(外部のページへ)
原風景
木津川下出垣内(東吉野村)
高見川流域の大字には、珍しいもの・方法で山の神にお供えをする風習が残っています。こちらは、鯛やノコギリ、斧を木で作ったものと、米を入れた俵、篠竹で作った酒桶、そして弓矢が見られます。毎年1月7日に、祀るそうです。
木津中垣内(東吉野村)
こちらのお供えは、ノコギリ、斧、鎌などが精巧にできていて、色付けされています。さらに、鯛は赤くペインティングされているので見ていて楽しいです。やはり弓矢が一対で左右に置かれています。
<2015.2.25.チーム170236撮影>
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 山でも雑木を伐採するとき、山仕事に先立って酒を入れた竹のごうをその山の入り口につるし、山仕事をする間の安全息災を祈願する風習があるそうです。(※1)
 また、大きく育った木にも神が宿ると考えられていて、やはり浄めの儀式を行ってから伐採することも耳にします。こうした自然への畏敬の念が背景となり、とりわけ山仕事に従事する人たちがその安全を祈願する対象として「山の神」を創造したのではないでしょうか。
【実体・モデル】
 山仕事での事故は、死亡や大けがにつながることも多く、そうした事故が発生した時には、あらためて山の神への信仰を厚くし、安全息災を祈願したのではないでしょうか。また逆に、山での気候の急激な変化や道に迷うなどの遭難で、九死に一生の命拾いをした時などは、あらためて山の神のご加護に感謝したのだと思います。
【現在人との係わり・存在感】
 1月7日は山の神の日とされており、この日男は山の神参りをして山仕事を休む事になっている地域もあるようです。山の神には、餅やミカンなど、正月と同じものを供えるようです。(※1)
 山の神を祀った祠は、決して珍しくはなく、各地の登山道や山道の入り口などで見かけられ、今なお信仰が続いていると思われます。また、山の神は女性とされているので、女の人が山に入るとやきもちを焼くという話も耳にしました。
参考文献 ※1)山添村史編纂委員会『山添村史』(H5.2.1.山添村役場)
※2)奈良県教育委員会事務局文化財保存課『上北山文化叢書(1)東ノ川』
(S37.3.31.上北山村)
※3)奈良のむかし話研究会編『読みがたり・奈良のむかし話』(S52.9.1.日本標準)
※4)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)