最近のエルトン・ジョン
--------------------------------------------------------------------------------
エルトン・ジョンが心臓を手術
ペースメーカー埋め込む
--------------------------------------------------------------------------------
9日付の英大衆紙サンは、英国の人気ロック歌手、エルトン・ジョンが
心臓にペースメーカーを埋め込む手術を受けたと報じた。
同紙によると、検査で不整脈の症状が確認されたため、8日に自宅のある南フランスからロンドン入りし
市内北部の病院で手術を受けた。
--------------------------------------------------------------------------------
70年代だけでも、全米NO1ヒット6曲、ミリオン・セラー11枚、全米NO1アルバム7枚、
ゴールドアルバム15枚という名実共にスーパー・スター。今や世界一有名なピアニストと言っても
過言ではないでしょう。本名はレジナルド・ドゥワイトで、イギリスのパイナーで1947年3月25日に誕生。
11歳の時すでに、ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックのピアノの奨学生となり、
17歳の時にショー・ビジネスの世界へ。
エルトン・ジョンという名は、ボールドリーのジョンとサックス奏者エルトン・ディーンの名からとったもので、
のちに彼は本名もエルトン・ジョンに改名してしまったのです。
やがて彼は有名なシンガーのバック・バンドから独立しソロとして動き出します。
68年後はシングル「アイ・ハヴ・ビーン・ラビング・ユー」でデビュー。
69年2枚目のシングル「レディ・サマンサ」、アルバム『エンプティ・スカイ』をリリースするが不発に終わってしまい、
70年に入り、彼はアメリカ・デビューを遂げるのですが、この時のライヴにボブ・ディランが聴きに来ていて大絶賛し、
また「人生の壁」が話題となり注目を集めました。
そして「ユア・ソング」が全米8位のヒットとなり、アルバムも全米4位となり、いよいよエルトン・ジョンの快進撃が
スタートします。
全米アルバムチャートで初登場No.1を最初に達成し、7枚連続アルバムチャートNo.1も記録。
彼の長年のキャリアは様々な大記録を打ち立てています。全米チャートTOP40、28年連続チャートイン。
(プレスリーの22年を破り歴代一位)近年はチャリティ活動にも積極的です。
さらにイギリス王室からナイトの称号も授与されました。
そして、「キャンドル・イン・ザ・ウインド
1997」は世界中で3500万枚以上のセールスを記録し、
ギネスブックにも認定されています。
※この記録づくめの大ヒット曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は73年に
マリリン・モンローを追慕したオリジナル・ヴァージョンが発表されています。
そして、86年のオーストラリア公演のライブ盤が翌87年シングル・カットされ、英米でトップ10入りする大ヒットとなったのです。
・・・彼の歌声は、私たちの心に響きます。まさにイギリスを象徴する『アーティスト』です。
エルトン・ジョンの代表曲
代表曲を中心にリスト・アップしておきます。
ELTON JOHN [エルトン・ジョン](70)
ファースト・アルバム。1970年リリース。この年は、ビートルズが69年に解散してから、
怒涛のようにアーティストのデビューが続いた。エルトンは黒ふちの眼鏡を掛け、神経質そうな内気な青年だった。
それが後に、ギンギンに変わってしまったのには驚かされたが、このアルバムには、真摯な思いが溢れている。
いまでも、ラジオなどから何気なくYour
Song が流れてくると、涙してしまうという人もいるだろう。
ピアノを中心にしたロックで、エルトンの作り上げた世界はまた独特。あちこちにイギリスの香りが色濃く反映されている。
Your Song [ユア・ソング](70)
70年に大ヒットする。この曲は今なお名曲として耳にする機会も多い。
ロケット・マン(72)
72年初の全米NO1アルバムを獲得し、以後7作連続1位という快挙を達成。
ダニエル(73)
73年初の全米NO1曲「クロコダイル・ロック」「ダニエル」とヒット連発。スターの仲間入りを果たす。
グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(73)
同年、8週連続1位を記録した大ヒットアルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」発表。
恋のデュエット(76)
ジョン・レノン、スティービー・ワンダーらとも共演。幅広い交友関係も彼の持ち味の一つ。
悲しみのバラード(76)
盟友、作詞家バーニー・トービンとのコンビはロック界最高の作曲コンビと呼ばれている。
ブルースはお好き?(83)
エルヴィス・プレスリーの持つ連続全米チャートトップ40入り(連続22年)を破った唯一のアーティストであり、
今なお記録更新中。
アイム・スティル・スタンディング(83)
奇抜で独特なファッションは常に話題を呼び、ファッション業界とも深い親交がある。
ニキータ(85)
92年エルトン・ジョン・エイズ基金を設立。故ダイアナ元英皇太子妃とも友人関係にあった。
僕の瞳に小さな太陽(91)
ジョージ・マイケル、W・アクセル・ローズなど多くのミュージシャンが彼に影響を受けた。
愛を感じて(94)
これまでに全世界で2億枚以上の売り上げを記録し、50歳になる今年も第一線で活躍中。
キャンドル・イン・ザ・ウィンド(97)
現在、全世界で大ヒット中。彼の熱唱は私たちの記憶にも新しい。
シングル総売上2000万枚を突破。これは実に38年ぶりの大記録。これまでに世界14ヵ国で1位を獲得。
日本でも初登場1位となり、洋楽シングル曲としては「ビューティフル・サンデー」振りのことである。
この記録づくめの大ヒット曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は
73年にマリリン・モンローを追慕したオリジナル・ヴァージョンが発表されている。
そして、86年のオーストラリア公演のライブ盤が翌87年シングル・カットされ、英米でトップ10入りする大ヒットとなった。
・・・そのほかの代表曲
YOU LOOK TONIGHT [ユー・ルック・トゥナイト]
CROCODILE ROCK [クロコダイル・ロック]
SATURDAY NIGHT'S ALRIGHT FOR FIGHTING [土曜の夜は僕の生きがい]
などなど。