〜エルトン・ジョン〜

 エルトン・ジョンは、1997年にパリで交通事故死したダイアナ元英皇太子妃の
 親友としても有名で、8月末にパリで事故死したのために同元妃の葬儀で熱唱した
 「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は世界的な大ヒットとなりました。

 そのCD売り上げ枚数が全世界で2000万枚を超え、現在も売り上げを伸ばしています。



最近のエルトン・ジョン
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エルトン・ジョンが心臓を手術
ペースメーカー埋め込む
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9日付の英大衆紙サンは、英国の人気ロック歌手、エルトン・ジョンが
心臓にペースメーカーを埋め込む手術を受けたと報じた。
同紙によると、検査で不整脈の症状が確認されたため、8日に自宅のある南フランスからロンドン入りし
市内北部の病院で手術を受けた。
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70年代だけでも、全米NO1ヒット6曲、ミリオン・セラー11枚、全米NO1アルバム7枚、

ゴールドアルバム15枚という名実共にスーパー・スター。今や世界一有名なピアニストと言っても

過言ではないでしょう。本名はレジナルド・ドゥワイトで、イギリスのパイナーで1947年3月25日に誕生。

11歳の時すでに、ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックのピアノの奨学生となり、

17歳の時にショー・ビジネスの世界へ。

エルトン・ジョンという名は、ボールドリーのジョンとサックス奏者エルトン・ディーンの名からとったもので、

のちに彼は本名もエルトン・ジョンに改名してしまったのです。

やがて彼は有名なシンガーのバック・バンドから独立しソロとして動き出します。

68年後はシングル「アイ・ハヴ・ビーン・ラビング・ユー」でデビュー。

69年2枚目のシングル「レディ・サマンサ」、アルバム『エンプティ・スカイ』をリリースするが不発に終わってしまい、

70年に入り、彼はアメリカ・デビューを遂げるのですが、この時のライヴにボブ・ディランが聴きに来ていて大絶賛し、

また「人生の壁」が話題となり注目を集めました。

そして「ユア・ソング」が全米8位のヒットとなり、アルバムも全米4位となり、いよいよエルトン・ジョンの快進撃が

スタートします。

全米アルバムチャートで初登場No.1を最初に達成し、7枚連続アルバムチャートNo.1も記録。

彼の長年のキャリアは様々な大記録を打ち立てています。全米チャートTOP40、28年連続チャートイン。

(プレスリーの22年を破り歴代一位)近年はチャリティ活動にも積極的です。

さらにイギリス王室からナイトの称号も授与されました。

そして、「キャンドル・イン・ザ・ウインド 1997」は世界中で3500万枚以上のセールスを記録し、

ギネスブックにも認定されています。

※この記録づくめの大ヒット曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は73年に
 マリリン・モンローを追慕したオリジナル・ヴァージョンが発表されています。
 そして、86年のオーストラリア公演のライブ盤が翌87年シングル・カットされ、英米でトップ10入りする大ヒットとなったのです。


・・・彼の歌声は、私たちの心に響きます。まさにイギリスを象徴する『アーティスト』です。
エルトン・ジョンの代表曲
代表曲を中心にリスト・アップしておきます。
ELTON JOHN [エルトン・ジョン](70)
  ファースト・アルバム。1970年リリース。この年は、ビートルズが69年に解散してから、
  怒涛のようにアーティストのデビューが続いた。エルトンは黒ふちの眼鏡を掛け、神経質そうな内気な青年だった。
  それが後に、ギンギンに変わってしまったのには驚かされたが、このアルバムには、真摯な思いが溢れている。
  いまでも、ラジオなどから何気なくYour Song が流れてくると、涙してしまうという人もいるだろう。
  ピアノを中心にしたロックで、エルトンの作り上げた世界はまた独特。あちこちにイギリスの香りが色濃く反映されている。

Your Song [ユア・ソング](70)
  70年に大ヒットする。この曲は今なお名曲として耳にする機会も多い。

 ロケット・マン(72)
  72年初の全米NO1アルバムを獲得し、以後7作連続1位という快挙を達成。

ダニエル(73)
  73年初の全米NO1曲「クロコダイル・ロック」「ダニエル」とヒット連発。スターの仲間入りを果たす。

グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(73)
  同年、8週連続1位を記録した大ヒットアルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」発表。

恋のデュエット(76)
  ジョン・レノン、スティービー・ワンダーらとも共演。幅広い交友関係も彼の持ち味の一つ。

悲しみのバラード(76)
  盟友、作詞家バーニー・トービンとのコンビはロック界最高の作曲コンビと呼ばれている。

ブルースはお好き?(83)
  エルヴィス・プレスリーの持つ連続全米チャートトップ40入り(連続22年)を破った唯一のアーティストであり、
  今なお記録更新中。

アイム・スティル・スタンディング(83)
  奇抜で独特なファッションは常に話題を呼び、ファッション業界とも深い親交がある。

ニキータ(85)
  92年エルトン・ジョン・エイズ基金を設立。故ダイアナ元英皇太子妃とも友人関係にあった。

僕の瞳に小さな太陽(91)
  ジョージ・マイケル、W・アクセル・ローズなど多くのミュージシャンが彼に影響を受けた。

愛を感じて(94)
  これまでに全世界で2億枚以上の売り上げを記録し、50歳になる今年も第一線で活躍中。

キャンドル・イン・ザ・ウィンド(97)
  現在、全世界で大ヒット中。彼の熱唱は私たちの記憶にも新しい。
  シングル総売上2000万枚を突破。これは実に38年ぶりの大記録。これまでに世界14ヵ国で1位を獲得。
  日本でも初登場1位となり、洋楽シングル曲としては「ビューティフル・サンデー」振りのことである。
  この記録づくめの大ヒット曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は
  73年にマリリン・モンローを追慕したオリジナル・ヴァージョンが発表されている。
  そして、86年のオーストラリア公演のライブ盤が翌87年シングル・カットされ、英米でトップ10入りする大ヒットとなった。
 
・・・そのほかの代表曲

YOU LOOK TONIGHT [ユー・ルック・トゥナイト]
CROCODILE ROCK [クロコダイル・ロック]
SATURDAY NIGHT'S ALRIGHT FOR FIGHTING [土曜の夜は僕の生きがい]

などなど。