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中東戦争(ちゅうとうせんそう)[3]

第3次中東戦争(だいさんじちゅうとうせんそう)

別名(べつめい)六日戦争(むいかせんそう)

イスラエル(ぐん)がエジプトを一気(いっき)()め、シナイ半島(はんとう)、ガザ地区(ちく)(おさ)えた。
また、北方(ほっぽう)ではシリア(りょう)のゴラン高原(こうげん)と、ヨルダン(りょう)のヨルダン川西岸地域(がわせいがんちいき)(ひがし)エルサレムを占領(せんりょう)した。

停戦(ていせん):1967(ねん)

戦後(せんご)状況(じょうきょう):この戦争(せんそう)によってパレスチナ難民(なんみん)が100万人以上生(まんにんいじょうう)まれ、そのほとんどがヨルダンに避難(ひなん)しました。
エルサレムをイスラム(ぐん)占領(せんりょう)したことで、イスラム教徒(きょうと)(いか)りに()ちていました。

第4次中東戦争(だいよんじちゅうとうせんそう)

別名(べつめい)十月戦争(じゅうがつせんそう)、ラマダ戦争(せんそう)など

エジプト(ぐん)はシナイ半島(はんとう)で、シリア(ぐん)はゴラン高原(こうげん)一斉(いっせい)にイスラエル(ぐん)攻撃(こうげき)
アラブ(ぐん)勝利(しょうり)したと(おも)いきや、イスラエル(ぐん)体裁(ていさい)(ととの)え、シナイ半島(はんとう)一部(いちぶ)しか奪還(だっかん)することができなかった。
また、アラブ諸国側(しょこくがわ)はイスラエル支援国(しえんこく)(たい)してアラブ諸国は原油販売停止(げんゆはんばいていし)または制限(せいげん)するという石油戦略(せきゆせんりゃく)をとった。
これは欧米(おうべい)日本(にほん)にも打撃(だげき)(あた)え「第一次(だいいちじ)石油危機(せきゆきき)(オイルショック)*という」。

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