だがしや楽校

ProjectE日本語非フレーム版→家庭教育コース→だがしや楽校
このページの目次
概要
駄菓子屋とは
だがしや楽校のコンセプト
だがしや楽校の意義
だがしや楽校の具体的行い方1主催者編
だがしや楽校の具体的行い方2先生(屋台の店長)編
参考ホームページその他
英語版へ
子供用へ

概要 ページの先頭へ

 昔、子供と社会の接点だった駄菓子屋の前で、遊びと学びの屋台を開けば、子供の学びを育てることができる。

駄菓子屋とは ページの先頭へ

飴  「子供店」「ばあちゃんみせ」「一銭店」とも呼ばれた子供向けにお菓子やおもちゃを売る店。駄という字でも分かるように、駄菓子とは菓子の中の駄物という意味で、安価で質も高級品ではない干菓子をさしていますが、もともとは江戸時代の「雑菓子」からきています。
 精製された白砂糖が貴重品であったために、幕府は庶民の菓子に白砂糖の使用を禁止し、庶民が口にする菓子の甘味料には主に黒砂糖が用いられました。これを雑菓子と呼び、大名や武士だけが食する上菓子と区別したのです。その後、雑菓子のルーツを受け継ぐ安い菓子の総称として「駄菓子」という名が広く一般に使われるようになりました。
 駄菓子屋というのは、子供から見た視点であって、実際には○○青果店などと看板を構えていても、子供が駄菓子屋だと思えば駄菓子屋で、駄菓子屋だと思わなければ駄菓子屋ではありません。 駄菓子を売る事で得られる収入は微々たる物でした。例えば、100人の固定客がいる駄菓子屋でも、戦前は、一月の売上が高校卒の初任給の半分であった等、副業として営まれていたわけです。
 なぜ、駄菓子屋のおじちゃんがいないのか、それは、駄菓子屋ではもうからないので、働きに出ていったからです。駄菓子屋は、安くてたくさんのお菓子やおもちゃを買うことができ、おばちゃんとの心の交流ができることから子供が集まります。子供が集まればそこはひとつの社会を形成し、地域の子供の情報ステーションとなります。大人になればそこはノスタルジックな場所として認識されるでしょうが、何度かの危機を乗り越えながらいまも子供の集う場所として存在します。最初は、親が忙しさにかまけて子供に小遣いを渡して家から出て行かせていたのが、子供のほうが積極的に行くようになったのです。
 しかし、今のデジタル、ゲーム世代の子供達にとっては、アナログな駄菓子屋の存在意義が減り、子供が集わない→駄菓子屋が減る→駄菓子屋を知らない人が増えるという状況にあります。特に、子供が駄菓子屋を継ぎたがらないということから、老人だけで経営する駄菓子屋も増えてきました。

だがしや楽校のコンセプト ページの先頭へ

 その駄菓子屋の集客力と社会性を生かして、駄菓子屋の前の広場や公園で学びと遊びの屋台を開くというものです。先生(屋台の店主)は、地域の人がボランティアで行います。たとえば、中学生による化学実験遊び(バブロケット、線香花火など)、針金細工、理科の先生によるラミネーターフィルムしおり、美術の先生による蔓細工や、剣玉クラブの老人による剣玉教室、モンゴル人によるモンゴルの遊び教室、大学のマンドリン部の人によるマンドリン演奏、人形劇、折染め教室...など、様々な教室が開かれてきました。屋台の価格は0円〜50円ほどと、駄菓子屋でお菓子を買う感覚に設定します。

だがしや楽校の意義 ページの先頭へ

 (1)子供は、学校だけで勉強するのではない
 パラレルスクールの要領で、校外で学びの場を設定することで、机上の勉強ではなく、実践的な生きる力を養うことができる。
 (2)駄菓子屋との相互連携
 駄菓子屋さんも、どんどんつぶれている。駄菓子屋さんにも集客というメリットがある。 
 (3)ネット社会へのアンチテーゼ
 このだがしや楽校はまさにアナログの世界であるが、子供達は沢集まり、楽しんでくれる。
 (4)先生自身の勉強
 先生(屋台の店長)をする人は、実際に勉強をしなければならない。これによって、新しい学びが創生される。
 (5)地域社会の再生
 今の崩壊しかかった地域社会で、だがしや楽校を行うことで、高校生が小学生を教えたりおじちゃん、おばちゃんが子供に教えたりすることで、今のジェネレーションの違いで分断される地域社会を再生することができる。
 (6)教える楽しさを知る
 先生となった中高生は、教えることに喜びを感じる。
 (7)物売り→学び売りへの転換
 今までの駄菓子屋は物だけを扱っていた。そこに学びというソフトを加えることで多角的になる。

だがしや楽校の具体的行い方1主催者編 ページの先頭へ

 (1)運営代表を決め、場所と日時(学校週休日の午後など)を決めます。
 (2)地域の、屋台を出してくれる人を募ります。たとえば老人クラブ、ボランティア団体、 フリーマーケット、高校生、サークル、お父さんの仕事などに、電話などでお願いをします。駄菓子屋さんにも直接お願いをします。
 (3)一般に宣伝をします。チラシや張り紙を作り、それを駄菓子屋、学校、公民館、子ども会など、子供のいるところを中心に配布して、当日の「参加者」の数を増やします。市町村の広報誌や町内会の回覧版なども利用できます。ローカル新聞社に問い合わせれば、興味を引いてくれるかもしれません。
 (4)駄菓子屋学校当日は、主に写真撮影や取材に応じたり、問題解決などの裏方の仕事になります。清掃は問題になりがちなので厳重に。
 (5)だがしや楽校の活動が終わったら、駄菓子屋や学校、公民館などに、屋台で作った作品や、写真などの展示をすることで、次回への展開の広がりを作るのもいいでしょう。

だがしや楽校の具体的行い方2先生(屋台の店長)編 ページの先頭へ

線香花火を作る場合
 (1)線香花火を家で作ります。
(1)ろ紙と鉄粉を購入する。ろ紙は薬屋で手に入るが鉄粉は、ホームセンターや大手デパート、教材洋品店などにありますので、見つからなければ鉄の缶を金属やすりで削ってもよいでしょう。
(2)洗面器とろうそくと割り箸をそのほかに用意する。
(3)ろ紙を2つに折り、折り目がついたらそこにスプーンなどを使って2ミリくらいの幅で鉄粉をのせる。量は多くなくてよいし、端は載せなくてもかまいません。
(4)ろ紙を2つに折り、こよりを作るようによる。端は特にしっかりとよりましょう。
(5)割り箸でその「花火」をつかみ、ろうそくに先を近づけます。
(6)洗面器の上で行います。
(7)鉄粉の量が分かるまで作ります。
(8)当日の試作品の為に2、3個余分に作ります。
 (2)主催者に連絡をとり、参加を申し入れ、机やいすの有無を聞きます。
 (3)当日、材料と缶(実費を入れる)、マジック、ボール紙、テープを用意する。机やいすは、ベニヤ板やビールケースで代用が可能。なければ、ビニールシートを持っていく。もちろん、服は汚れてもよいものにしましょう。
 (4)マジックとボール紙を使って看板を書く。テープは止めるためのものです。
 (5)缶と試作品を置いて、「線香花火だよ!○円でできるよ!」と客を呼びましょう。
 (6)価格は0〜50円ですが、実費を考えると20円で25個できれば500円位になるので20円前後がおすすめです。
 (7)子供は火遊びが好きなので、よく監督をする。特に、洗面器の上で行わないと酸化鉄が飛び散り、公園が汚くなるので注意してください。 
 (8)くじ付きで、2回に1回はただでもう一度遊べるようにしたり、小学校以上ならば自分で作らせてもよいでしょう。
 (9)写真を撮ってその後の広がりを作るのもよいでしょう。  


参考ホームページ、その他

【引用情報】画像「あめ」
【情報源】岡茉莉子
【引用許可の取得方法】本人に直接許諾を得る
【許可の取得年月日】2001年3月10日

リンク集に登録済だがしや楽校実行委員会 「だがしや楽校」
<http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/9530/dagashi/index.htm>

2001 (2001年3月)


ProjectE Index日本語非フレーム版養護学校へ聴覚障害者へ検索掲示板

メール 日本語フレーム版 子供用 英語版 上へ戻る 使い方等