ルネサンスの天才達

ダ・ヴィンチ

ミケランジェロ

ラファエッロ

 

ラファエロ・サンティ
(Raffaello Santi)(1483年 - 1520年)

芸術の天才

 ラファエッロは、ルネサンスを代表する画家・建築家で、ダ・ヴィンチやミケランジェロと並び、ルネサンスの三大巨匠と呼ばれています。ラファエッロは、ダ・ヴィンチやミケランジェロと歳が離れていたせいか、2人から多くの芸術を学び、大きく成長をしていきました。彼は短い生涯でしたが、それまでに多くの作品を残しました。
 ラファエッロは総合芸術の天才であると言えます。ラファエッロはウルビーノで生まれ、父親のジョヴァンニ・サンティから絵画の教育を受けました。そして、父親の知り合いであったペルジーノに弟子入りしました。ラファエッロの主な作品は、『アテネの学堂』『小椅子の聖母』『聖母子』などが有名です。特に『アテネの学堂』は最も有名な作品で、教皇ユリウス2世の命令で制作したものです。ラファエッロは20歳の若さにしてこの絵を描いています。『アテネの学堂』は、ヴァティカーノ宮殿四部屋のうちの「署名の間」にある壁画です。

技術の吸収

 ラファエッロはレオナルド・ダ・ヴィンチの技術を吸収し、フラ・バルトロメオの影響を受けることで、堂々と力強い作品に変化していきました。ラファエッロは、従順に仕事をこなしたので多くのパトロン(裕福な商人・ローマ教皇)を持っていました。そしてユリウス2世の肖像画や、銀行家キージ家の依頼で『ガラテイアの勝利』、教皇レオ10世とジュリオ・ディ・メディチ枢機卿(キリスト教のナンバー2)、ルイージ・ディ・ロッシ枢機卿の肖像画なども描いています。このような作品はルネサンスの集大成と呼ばれる作品です。
 ラファエッロは芸術の他に建築家としてもサン・エリジオ・デッリ・オレフェチ教会、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のキージ家礼拝堂、パラッツォ・ブレッシャーノ・コスタ、パラッツォ・パンドルフィニなど、多くの設計をしています。また、ローマ古物監督責任者に推薦されるなど、芸術家として大きな富と権力を手に入れました。ラファエッロはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと共に、後世に大きな影響を与えたのです。

ユリウス2世

美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)
ルーブル美術館
 ラファエッロが制作した聖母子像のひとつ『聖母子と幼児聖ヨハネ』です。この作品はラファエッロが1507年にフィレンツェ滞在時に作られました。幼児キリストはミケランジェロの影響で今にも飛び出すような表現になっています。また、ルーブル美術館が所有したことにより、ラファエッロの最も有名な作品になっています。
【聖母マリアの母性】
 幼子キリストに愛する視線を送る聖母マリアに、ラファエッロは母親の母性本能を絵の中に表現し、多くの人々から支持を得ました。
【幼子キリスト】
 幼子キリストはその身体を大きくねじり、空間に迫力とリズムを生んでいます。当時、巨匠と呼ばれていたミケランジェロの描く人体のダイナミックな動きに、大きな影響を受けたものです。
【幼子聖ヨハネ】
 木の十字架を手に持つ聖ヨハネです。他の聖母子ではヨルダン川でキリストへ洗礼をおこなった聖ヨハネが、大人として描かれることもあります。しかし、本作のようにキリストと同じく幼子として描かれることも多くありました。

 

 

大公の聖母
ピッティ美術館
 ラファエッロの代表作品『大公の聖母』です。当時、まだ画家として有名になり始めたばかりのラファエッロが、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を強く受けて、このような簡単な背景の中に浮かび上がる聖母子の姿を描いたと考えられています。
 また、大公の聖母は、トスカーナ大公であったハプスブルク家のフェルディナント3世が創らせました。フェルディナント3世は国の使いで出張するときはもちろん、プライベートな旅行の時でさえ、手放すことはなかったというほど、この作品を素晴らしいと思っていたそうです。

 

 

キリストの遺骸の運搬
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
 この作品には、イエスの遺体が描かれています。身をねじらせて倒れこむ聖母マリアの表現には、ミケランジェロの影響が強く見られます。その他にも、人々を感動させるラファエッロ独自の表現があり、洗練された表現が感じられます。
 この絵は、ローマ教皇ユリウス2世がラファエッロをローマへと呼び寄せるきっかけのひとつです。

 

 

アテネの学堂
ヴァティカーノ宮殿 ー署名の間ー
 この絵画はプラトン、アリストテレス、ソクラテス、ピタゴラスなど古代ギリシアの偉人・哲学者を集め、人類の素晴らしさを壮大に表現した、ヴァティカン芸術の中で一番の名作です。
 1508年にラファエッロは教皇ユリウス2世の命令により、ヴァティカーノ宮殿の「署名の間」「ヘリオドロスの間」「火災の間」などの飾りを手がけました。『アテネの学堂』もそれと同じ時期に制作されたものです。この『アテネの学堂』は、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画と共に、ルネサンス古典様式最高傑作のひとつと言われています。
【過去と現在を融合させた偉人たち】
 完璧な遠近法の背景の中に描かれた画面中央の人物は、左がプラトンで右がアリストテレスです。この壁画は、ルネサンス芸術が、過去最も素晴らしかった古代ギリシア時代と同等であったことを表現しています。この作品の主人公のモデルは、長い間レオナルド・ダ・ヴィンチ(プラトン)とミケランジェロ(アリストテレス)であるとされてきましたが、現在ではミケランジェロはヘラクレイストだとされています。
【ヘラクレイトス】
 ラファエッロがミケランジェロに敬意を示し描き加えました。しかし、他の人物とは明らかにタッチが違って描かれています。そのことから、このヘラクレイトスは、レオナルド・ダ・ヴィンチと対立していたミケランジェロが、本作でダ・ヴィンチ(プラトン)と隣り合って話しをする、自らの(アリストテレス)姿に怒り、ミケランジェロが描き加えたと考えられています。
【ラファエッロ】
 画面中央より少し右に立つ、黒い帽子をかぶり、じっとこちらを見つめている人物はラファエッロ自身です。この仕事が、そして自分がルネサンス芸術において、どのような意味を持つか理解していたからこそ、自らの姿をそのままに描いたのです。また、その反対側にはラファエロの恋人(パン屋の娘)が描かれています。

  

ラファエロ(右)とその恋人(左)

 

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