ルネサンスの天才達

ダ・ヴィンチ

ミケランジェロ

ラファエッロ

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ
(Leonardo da Vinci)(1452年 - 1519年)

ダ・ヴィンチの誕生

 レオナルド・ダ・ヴィンチはルネサンスを最も代表する画家です。ミケランジェロ、ラファエッロと共に、ルネサンスの三大巨匠と呼ばれています。ダ・ヴィンチはイタリアのアンキアーノ村で生まれ、5歳の時にヴィンチ村に移り住みました。ヴィンチ家は13世紀より続くヴィンチ村で有名な血筋で、裕福な家庭でした。幼い頃の彼は、正当な教育を受けていなかったため、左手で鏡文字を書いていました。
 ダ・ヴィンチの多くの芸術作品は精巧でとても有名です。ダ・ヴィンチの絵画はスフマート技法(輪郭なしに影だけで自然な立体感を表現する絵画技法)と空気遠近法(距離が遠くなるほど色調が明るくなり、かつ寒色になる技法)を用いています。ダ・ヴィンチは一枚の絵を描くのに大量のスケッチを描いて、いくつもの構想を考えていました。しかし、ダ・ヴィンチは描き始めても完成が見えてしまうと、途中で制作を止めてしまうことがありました。それと同時に、描くスピードも遅かったので、未完成の作品も多くあります。
 また、ダ・ヴィンチはノートに13300ページにも及ぶ数多くの記録を残しました。しかし、ダ・ヴィンチの死後、バラバラになってしまったため、現在ではその3分の1程度しか残っていません。そのほとんどを国が管理しており、一部はお金持ちによってコレクションされています。

万能の天才

 ダ・ヴィンチのノートには、ヘリコプターやハングライダーに似たアイデアや、パラシュートのような落下装置が考えられていました。また、発明した機械で実験を行い、失敗した記録も残っています。他にもマシンガン、馬や人力によって動く装甲戦車や、クラスター爆弾など軍事関係のアイデアもノートに描かれていました。しかし、彼はしだいに戦争は人類が行なう最もおろかな行為だと考えるようになったのです。その他にも潜水艦、歯車を用いた史上初めての機械式計算機、バネの力で動く自動車、凹面鏡を使い太陽光を集め、水を暖めることなど、太陽光線を工学的に利用することも考えていました。天文学分野では、太陽と月は地球の周りを回っており、月の光は地球の海が太陽光線を反射したものだと考えていましたが、最終的に地球が太陽の周りを回っているとしています。数学では重要な定数の、黄金比を発見しており、それに関する高度な研究の記録も残されています。現代のコンタクトレンズの原型もダ・ヴィンチが考えたものです。ダ・ヴィンチは音楽の演奏及び作曲も行っていました。そしてリュートを演奏しリラを弾きながら新しい楽器のアイデアをデザインしたともいわれています。
 彼は、遠近法や独自のぼかし技法を後世の画家に伝えました。また、数々の分野で才能を開花させたことから後に万能の天才と呼ばれるようになりました。

モナ・リザ(ジョコンダ)
ルーブル美術館
 おそらく歴史上最も有名な肖像画であり、これほど素晴らしく模写された絵は他にありません。ダ・ヴィンチは1503年にこの絵を描き始め、およそ4年間にわたって描き続けました。初め、この絵は「ヴェールをかぶったフィレンツェの娼婦」と呼ばれていました。しかし、ジョルジョ・ヴァザーリが記した『芸術家列伝』には、この絵について『モナ・リザ』と記してあります。これが広まって、今の名が定着しました。モナは婦人、リザはエリザベッタの愛称です。
 『芸術家列伝』にはこの女性がフィレンツェの富豪、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻とも記してあります。そこから、芸術史の研究者たちはこの絵のモデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻であるエリザベッタ・デル・ジョコンダと考えています。しかし『モナ・リザ』のモデルが誰なのかはわかっていません。ダ・ヴィンチは通常、描く絵について大量のスケッチやメモを残していますが、この肖像画については何の記録も残していないのです。
 デル・ジョコンドは実在の裕福な人で、フィレンツェの中で政治的にも大きな力を持っていました。しかし、その妻であるエリザベッタについてはほとんど分かっていません。エリザベッタの本名はリザ・ゲラルディーニと言い、1495年にデル・ジョコンドと結婚しましたが、それがダ・ヴィンチの言った「貴婦人」かどうかの確証はありません。ダ・ヴィンチが絵を描いた時にはエリザベッタは24歳でした。しかし描かれている人物はもっと年齢が高く見えます。
 『芸術家列伝』を書き記したヴァザーリは1511年生れで、ダ・ヴィンチにもエリザベッタにも会ったことがありませんでした。また『モナ・リザ』を実際に見たことすら疑われており、ヴァザーリの記述には疑問点がかなり多いのです。そのため、モデルとなった人物は他に4名いるといわれていますが、いずれも確証はありません。
 近年行われた赤外線と3D技術による調査で、これまで解析できなかった絵の具の層が解析されました。この調査により、『モナ・リザ』のドレスが薄い透明のガーゼ布によって覆われていることが判明しました。16世紀前半のイタリアでは妊婦や出産したばかりの女性がガーゼのドレスを着ていたことから、ジョコンドの妻リーサが次男を出産した直後だとする説が新たに考えられました。
 『モナ・リザ』の服装は喪服(葬式の時に着る服)のような物で、背景にその人が誰であるかを示す暗示も無く、髪型にも薄いヴェールがかけられており、特定の個人を示す暗示がほとんど得られません。さらに、何度もX線解析をした結果、現在の絵の下には少なくとも3種類の『モナ・リザ』が隠れていることがわかっています。
 一方で、絵画においてモデルが誰であるかはほとんど意味がないという意見もあります。写真ならばモデルが誰であるかは重要ですが、絵画ならばモデルよりも画家の筆が重要だからです。同じモデルでも画家が異なればまったく別の絵となります。この絵画が傑作であることに関して、モデルの意味はあまり重要ではないとも言えます。

 

 

最後の晩餐
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院
 この絵はパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の注文で描いた絵画です。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリスト最後の日に描かれている『最後の晩餐』の様子を描いています。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の様子です。
 また、絵の中に隠された人物がいるという新説が発表され、話題を呼んでいます。近年、世界的ベストセラーとなった小説『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著)では、失われた聖杯とは、これまで言われていたようなキリストが最後の晩餐で使った杯(さかずき)ではなく、「マグダラのマリア(イエスによって回心した売春婦)」とイエスとの血統、即ち二人の子孫を指すという新たな考え方が発表されました。
 また、これまで聖ヨハネと考えられていたキリストの左側に座る女性的な外見の人物は、実際にはマグダラのマリアであり、また二人の間に作られた「V」字型の空間はイエスの血を受けた「聖杯」=マリアの子宮を意味し、二人の間には子供が出来ていたことを指し示すとしています。
 おそらくダ・ヴィンチは、この絵の中にまずマグダラのマリアとキリストの間に生まれた子供を描いたと考えられています。しかし描いていく行く途中に消し、マリアとキリストの間に開いた空間を残すことで、隠された暗示を残して、彼らの間に生まれた子供とその血統=聖杯を描いた言われています。

ダ・ヴィンチの席順: (ペテロ)−(ユダ)−(愛する弟子)−(イエス)

オーソドックスな席次:((ユダ)−(ペテロ)−(イエス)−(愛する弟子)

ミュンヘンにあるちょっと異例な席順:(ユダ)−(イエス)−(愛する弟子)−(ペテロ)

 

 

三賢王の礼拝
ルーブル美術館
 この絵はダ・ヴィンチが描いた初期の作品です。三賢王とは、中世の後期に、ヨーロッパ、アジア、アフリカの三地域を人として描かれたもので、キリストに敬意を示すという意味です。画面の奥に描かれている馬たちのダイナミックな動きは、普通の礼拝とは異なっていて、とても印象深い作品となっています。図を基準とした絵画方式と、巧みな絵画表現をダ・ヴィンチが考えていた作品と言えます。『三賢王の礼拝』は木のパネルに描かれていますが、下塗りに大きな工夫がされています。この『三賢王の礼拝』はダ・ヴィンチの他にも数多くの画家がテーマに取り上げています。

 

 

ウィトゥルウィウス的人間
ヴェネツィア・アカデミア美術館
 ウィトゥルウィウス的人間は、ノート『Canon of Proportions (プロポーションの法則)』で書かれている一部です。当時発見されていた古代ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築論』に書いてある「人体は円と正方形に内接する」という文を表現しています。現在、この図はダ・ヴィンチの書いたノートの中で最もよく知られていて、イタリアの100ユーロ硬貨にも使われています。
 ダ・ヴィンチは、内部を知り、絵をより美しくするために動物の解剖を行いました。後に、人体の解剖にも立ち会うようになりました。また、自分自身の手でも行いました。その際に、極めて細かく書き込まれた解剖図を何枚か作成しています。人体や解剖学に関する成果は、工学的に表現され、最古のロボット設計図と言われています。

 

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