1950年代

「日本の宇宙開発はいつ始まったの?」
「1952(昭和27)年に糸川英夫教授さん達の東大生産技術研究所が
できました。
そこが、日本の宇宙開発の始まりだといわれています。」
「1952年かぁ。ちょうど60年前ね」
「その東大生研では、ペンシルロケットの開発に着手していました」
(c)JAXA
「ペンシルロケット?鉛筆みたいな形のロケットって事?」
「そうです。最初のペンシルロケットは〔全長:230mm・重量:0.202kg〕と
本当にペンのようなものでした」
「230mmって...23cmじゃない!!」
「そうです」
「たった60年で鉛筆程度の大きさから、人が何人も乗れるような
ロケット
を作れるようになったの!?しんじられない!」


「ねぇ、ペンシルロケットの次はどんなものが作られたの?」
「1950年代では、『ベビーロケット』・『カッパロケット』があるよ。」
「なんか変な名前ね」
「これこれ、そんなこと言うんじゃない」


(c)JAXA
「まず、先にできた≪ベビーロケット≫のほうから紹介します。」
「わかったわ」
「ベビーロケットとは、東大生産技術研究所のロケット開発計画の
第二段階として作られたものです。」
「どんなのなの?」
「うん。ベビーロケットは3つのバリエーションがあってね。
それぞれ大きさや目的も違うんだ」
「へー。じゃあ、できた順に教えてよ」

「わかった。まず1つ目が、1955年に打ち上げられた
ベビーS≫だよ。このSはSimple、簡潔に、という意味で、
その名の通り飛ぶ性能のテストのためだけのものだったんだ。」
「ほんとにシンプルね」
「大きさは ≪全長:1,240 mm 直径:80 mm 重量:10 kg≫だよ」
124pってことは...いま小1の弟ぐらいかしら」
「だいたいそれくらいじゃの」
「2つ目は≪ベビーT≫だよ。
これも1955年に打ち上げられているんだ。
このTはTempuratureのことで...」
「てんぷら...?」
「Tempurature、温度のことじゃよ」
「もう!はかせったら、わかってたわよ!!」
「ふぉふぉふぉ」
「3つめは≪ベビーR≫で、Tに写真機能をつけたものなんだ」
「写真かぁ、今では普通よね」
「余談だけど、このロケットの1号機は糸川英夫教授の愛車に
つけていたお守りをつけられていたんだ」
「へー。それだけ大切に思っていたのね」
「自分が作ったものには愛着がわくものじゃよ」
「それもそうね」

「次に、ベビーロケットの次にできた≪アルファロケット
を紹介するよ」
「あるふぁ?これはただのaじゃない」
「ギリシャ語ではそう読むんじゃよ」
「へー」

「日本は、IGY期間内に観測ロケットを打ち上げようと
急いでいたんだ」
「何それ?」
「そして、日本はベビーロケットの跡継ぎとして
カッパロケット》を開発していたんだ
でも、このアルファロケットの方が先に完成していてね。
こっちを採用したんだ」
「もう!無視しないでよ!!」
「まあまあ、きっと後で教えてくれるはずじゃよ」


「最後に≪カッパロケット≫を紹介するよ」
「うん、お願い」

(c)JAXA

「カッパロケットは、ベビーロケットと同じように東大生産技術研究所
で作られたロケットだよ。日本では初めて、地球を観測することを
目的として作られた
んだ」
「地球を観測するのか...なんか変な感じ」
「確かに、最近はあまり聞かん言葉じゃのう」
「もう地球は調べあげられちゃったのかもね」
「ふぉふぉふぉ、そうじゃの」

「このロケットも、IGYに合わせて作られたんだ」
「さっきも聞いたけど、なにそれ?」
国際地球観測年。つまり、国と国が協力して地球を観測する
という年だよ」
「へー。でも、なんで協力する必要があるのかしら?」
「お金が足りないとか、協力したほうがはやいからじゃないかの」


「これで、日本が1950年代に作ったロケットは全部だよ」
「じゃあ、次の年代のも教えてよ」
「わかったわかった。そんなに焦らないで」


前にもどる1960年代へ