大分市の歴史と文化
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大分の史跡探訪 > 高崎山城
◆高崎山にはお城があった

お猿の山の頂上に・・・


高崎山といえば、野生のニホンザルが多数生息していることで有名です。大分県民なら、知らない人はいないハズ。
では、その高崎山に、かつてお城があったことはご存知ですか?えっ、ウソだそうって?いやいや、本当ですよ。
難攻不落だった西日本最大級の山城・高崎山城
高崎山城が築かれた年代は定かではありませんが、南北朝〜室町時代に活躍した大友氏の8代当主・大友氏時の頃には本格的な城郭が出来上がっており、激しい戦いを繰り広げていたようです。その後は、歴代大友氏の当主が居城として利用しましたが、1593年に大友義統(おおとも よしむね)が改易により豊後国を離れると、城は廃城になりました。
城は高崎山の山頂にあり、現在も敵の行動を妨げる竪堀や、建物があったと見られる土壇などがいくつか残っていますが、はっきりとした城の全貌は分かっていません。

※右写真は大分市歴史資料館にある城跡の模型。なお、写真は大分市歴史資料館様よりご提供頂きました。深く感謝申し上げます。








海岸線に沿って張り出すようにそびえ立つ高崎山。その頂上にあった高崎山城は、難攻不落の城として知られていたようで、特に8代当主・大友氏時の頃には激しい戦いが起こっています。
室町時代の直前、足利尊氏の後醍醐天皇追放により、全国の武士が北朝方/南朝方に分裂し、九州でも各地で戦いが起こりました。当時、九州の有力守護でほぼ唯一、北朝方(足利尊氏ら)についた大友氏時は、優勢であった南朝方の菊池氏らと数百回に及ぶとも言われるほどの激しい戦いを繰り広げました。しかしながら、菊池氏らの大軍は高崎山城を攻略できず、氏時によって退けられたと言われています。








高崎山城跡(たかさきやまじょうあと)
住所:大分市神崎(Googleマップを表示)
駐車場:あり
アクセス:
大分駅から車で25分(登山道まで)

※注意※
高崎山城跡(山頂)に行くためには、写真の海側からではなく、反対側の登山道から登る必要があります。
また、高崎山には1,300頭以上もの野生のサルが生息しており、登山道や城跡付近にも多数出没します。そのため、訪問の際には十分注意をされて、また登山前に現地の看板などに書かれた注意事項等をよくお読みになった上で訪問して頂きますようお願いします。


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