<2014.10.23.チーム170236制作>
いっぽんだたら 【一本だたら】
別 名 | 一本足、一本足のたたら | |||||||||||||||
出没地 | 伯母峰峠(上北山村)、玉置神社周辺・今西・果無(十津川村)、伯母子峠(野迫川村) | |||||||||||||||
容 姿 | ○果無(十津川村)にも一本ダタラがいて、足が一本で目が皿のようである。(※1) ○村人や旅人をとらえてはどこかへ連れ去ったり、食べたりする。目が一つで、大きな赤い口に、足が一本、丸太のような化け物。(※2) ○一間ごとの足跡があって、すごく大きい。(※3) |
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出没方法 | ○普段は人に危害を加えないが、ハテノハツカ(旧12月20日)だけは人を食べると言われており、その日は通行する人がなかった。(※1) ○玉置神社(十津川村)へ行く途中、笹の葉がじゅうたんのように敷き詰められているところがあり、一間ごとに足跡がついている。化け物は、ここを通るたびに、「人くさい!人くさい!」と言って通る。(※3) |
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事 例 | 天ヶ瀬(上北山村)に住む射場兵庫という武士は、伯母峰で背に熊笹の生えた猪を鉄砲でたおした。ところが、紀州湯の峰温泉に湯治に現れた野武士の正体が、背中に熊笹の生えた怪物であることがわかった。その熊笹王の亡霊は「兵庫の持つ鉄砲と犬を手に入れたいから何とかしてくれ」と頼んだが、兵庫は聞き入れなかった。そののち熊笹王の亡霊は一本足の鬼と化して伯母峰に現れ、旅人をとり始めたので東熊野街道はさびれてしまった。 ところが、丹誠上人が伯母峰に地蔵尊を勧請し、経堂塚(辻堂山)に経文を埋めて鬼神を封じてから、ふたたび旅人も通るようになった。ただしこれには条件があり、毎年十二月二十日だけは鬼の自由に任すと言うことであった。それで今も「果ての二十日」だけは伯母峰の厄日とされている。(※4,5) |
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アクセス |
伯母峰峠(外部のページへ) |
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原風景 |
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考 察 | 【性格・生まれてきた背景】 一本だたらは、紀伊山地特有の妖怪で、奈良県内では果無・玉置山(十津川村)、伯母峰峠(上北山村)、伯母子峠(野迫川村)などに伝わっています。いずれも、人里から離れた山深いところで、とりわけ、伯母峰峠は日本有数の豪雨地帯で有名な大台ヶ原に隣接しています。ここは、気象条件の荒々しさや厳しさに、明治期までなかなか人を寄せ付けなかったと言われています。かつて、そうした地域を旅しなければならなかった場合、日が暮れてからの豪雨や濃霧、降雪に、行方不明者や死者も出たことでしょう。そうしたことが背景となって、一本だたらの妖怪が生まれてきたのではないでしょうか。 【実体・モデル】 「目が一つで、大きな赤い口に、大きな足が一本」という特徴は、山深い地域では、立ち枯れの大木がモデルとして考えられます。大台ヶ原にはそうした風景が多く、大木には、大きな洞もあり、大きな口に見えたかもしれません。 上北山村の一本だたらの場合、射場兵庫によって退治された巨大なイノシシが猪笹王の亡霊となり、一本だたらに生まれ変わったと伝わっています。一方で、昔は、旅人のお金目当てに山賊が出たという話も残っています。年末の大金をもって動く商人など相手に、「12月20日以降は峠を越えるな」という戒めの意味もあったようです。 【現代人との係わり・存在感】 大台ヶ原の大台教会では、30年ぐらい前まで、教会の宿泊者を集めて、薄暗い石油ランプの下で手振り身振りおかしく大台に伝わる「一本だたら」の伝説が語られたそうです。その時に使われた一本だたらの人形は今もたたら亭に残っており、また、大台ヶ原のお土産として、交通安全を祈願したたたら人形が販売されているようです。 また、現在の伯母峰峠(国道309号線伯母峰トンネル)には、丹誠上人が伯母峰に勧請したという地蔵尊が移築され、通行の安全が祈願されています。さらに、旧伯母峰峠からほど近いところには、猪笹王を祀った霊廟が建立されており、上北山村の人々にとっては、今も身近な存在ではないでしょうか。 |
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参考文献 | ※1)奈良県教育委員会事務局文化財課『十津川村史』(S36.5.20.十津川村役場) ※2)奈良の伝説研究会編『奈良の伝説』(S55.9.25.日本標準) ※3)稲垣幸子編・松実直清語り『十津川むかし語り』(1994.7.1.四海書房) ※4)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版) ※5)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会) |