<2015.1.6.チーム170236制作>

すなかけばばあ 【砂かけ婆】

別 名 砂かけ坊主
出没地 河合町佐味田、田原本町
容 姿  「婆」とも「坊主」ともいわれるが、姿はない。
出没方法  光明寺の前を通ると上から砂をかけられる。(※1)
事 例   『大和昔譚(沢田四郎作・昭和6年)』には、「おばけのうちにスナカケババというものあり、人淋しき森の影、社の影通れば、砂をバラバラふりかけておどろかすといふも、その姿を見たる人なし。」と、奈良の妖怪を紹介している。
 北小学校前の道路を長岡街道といい、そこに昭和40年頃まで「ウコギの一本木」と呼ばれる大きな木があった。実は、この「ウコギの一本木」の下を夜に通ると、「砂かけババが砂をかけよった」という話が残っている。
 また、法貫寺の川堤にある大きなクロガネモチの木も、「砂かけの木」といい、祟りの木とされている。(※2)
アクセス
河合町広瀬神社  (外部のページへ)
原風景
     
 光明寺    すな丸
光明寺周辺は、古くからの集落のようで、狭い路地には、昔話の似合う雰囲気があります。すな丸は、河合町のゆるきゃらで、モデルは砂かけ祭りのおじさんだそうです。
砂かけ爺の正体はやっぱりこれしかないでしょう。この地域の子供たちは、小さい頃から思いっきり砂をかけあうことを肌で体験しています。この原体験が、砂かけ爺・砂かけ婆という妖怪を生み出したんではないかと、やっぱり考えてしまいます。
 <2015.2.11.チーム170236撮影>
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 内陸県の奈良には砂浜海岸はありませんから、砂は河川の河岸でしか手に入りません。したがってこの妖怪は、川の近くに棲んでいると思われます。あるいは、かけたのは砂ではなく、土かもしれません。
【実体・モデル】
 河合町では、タヌキか猫のしわざという話も伝えています。(※1)
【現在人との係わり・存在感】
 同じ河合町の広瀬神社では、「砂かけ祭り」というユニークな行事があります。広瀬神社の祭神は和加宇加之売命で、衣食住並びに農耕の神、ことに水を司る神として信仰を集めてきました。「砂かけ祭り」は、全国各地に残っている御田植神事(おんだまつり)の1つで、毎年2月11日に行われるそうです。前半は、殿上で田植え行事が進められ、後半は下に降りて庭上で田植え行事が繰り返されます。その時、参詣の人たちが手に手に砂をつかんで田人や牛に投げつけ、やがて牛が暴れ田人と参詣客がお互いに砂をかけあうという大変賑やかな行事に変わっていきます。(※1)
 広瀬神社の関係者の方からは、「この砂かけ祭りと砂かけ婆などの妖怪とは関係がない」とうかがいましたが、同じ河合町内で「砂かけ坊主」という妖怪が現れるのは、やはり興味深いものです。
参考文献 ※1)河合町史調査委員会『河合町史』(S56.4.5.河合町役場)
※2)広報「たわらもと」元年10月号(平成元年10月1日/発行・奈良県田原本町)