<2014.10.24.チーム170236制作>

てんぐ 【天狗】

別 名
出没地 十津川村、長谷寺(桜井市)、神野山(山添村)、金剛山・葛城山
容 姿  北今西(野迫川村)の人が小屋がけをして下駄の材料を作っていたら、真夜中に小屋の屋根をバリッと踏みぬいて、毛の生えた大きな足が現れた。そして、「カラカラ」と大声で笑って消えた。
 またある時、北今西の山のモミを学校建築のために切った。すると、毎晩、天狗の大きな笑い声がして寝られなかったという。(※4)
出没方法 ○十津川には「天狗ー(天狗岩)」と呼ばれているところがたくさんあり(大井谷・果無・下津越・樫原の滝など)、岩が壁のように高く立っている。ここには、たくさんの天狗たちがすんでいて、空を飛んだり、すもうをとったり、うちわで風をおこす競争をしたりけんかをしたりして、その度に岩が落ちてくる。また、失踪事件がおこると、天狗のしわざとして残る話も複数ある。(※1,5)
○長谷寺の一の回廊をのぼりつめたところに「天狗杉」がある。第一四世の能化(管長)英岳大僧正は、いたずらをする天狗を懲らしめるため杉の大木をみんな切ろうとしたが、一本だけ天狗のすみかとして残してやったという。(※2)
○役行者によって葛城の大天狗は深い谷底に落とされた。それ以降、天狗の一族は二度と山伏たちの修行の邪魔をしなくなり、むしろ修行の手助けをすると共に、守り神として祀られるようになった。(※3)
○薊岳、大鏡池の南100mのところに、「天狗のまないた石」というのがある。大又に住んでいたなまけ者の又五郎を、薊岳の天狗がまないた石に運び込んでせっかんをし、又五郎の根性をたたきなおして善人にしたという話が伝わっている。(※6)
事 例  月ヶ瀬の神野山の天狗と伊賀の青葉山にいた天狗とが喧嘩をした。神野山の天狗が青葉山の天狗をたいへんおこらせたので、青葉山の天狗はさかんに石塊を神野山の天狗に投げつけた。神野山の天狗は弱いふりをしてほうっておいた。青葉山の天狗はれにつけこんで、手当たり次第に石塊や芝生をつかんで投げた。そのため伊賀の青葉山は岩も芝生もなくなり、はげ山になってしまったが、大和の神野山は石くれが集まって、鍋倉谷ができたり、山頂が芝生になったりして、きれいなよい山になったという。(※2)
アクセス
山添村神野山 (外部のページへ)
原風景
神野山鍋倉渓 <2014.11.15.チーム170236撮影>
全長650mにわたって、巨岩怪石が天の川のように続いています。
 
山伏(吉野山)   山添村のゆるきゃら「てんまる」
【画像提供者】
西久保智美氏(電子メールメッセージにて許諾、2014年12月20日取得)
考 察 【性格・生まれてきた背景】
 天狗は奈県だけでなく、全国各地で伝えられている妖怪です。奈良県では十津川村、長谷寺(桜井市)、神野山(山添村)、金剛山、葛城山などで出現したとされ、いずれもかつては山深いところでした。例えば、神野山鍋倉渓の巨岩・奇石は、天狗の仕業と伝わっていますが、その昔、そうした説明のつきぬくい自然現象を、超能力の持った天狗の仕業としたのでしょう。また、十津川では、山の上の巨岩に「天狗ー」と名付け、天狗のすみかと説明しているところも多いようです。
【実体・モデル】
 奈良県は、奈良時代より、役行者を開祖とする修験道の盛んなところで、その修行者を「山伏」や「修験者」といいます。山伏は、普通の僧侶の服装とは違って、上下真っ白の装束に、頭にはまるでカラスの嘴のような頭巾をつけ、お尻には鹿革を巻きつけています。なかには、非常に速いスピードで、山道を駆け抜け、岩から岩へと移る様の方もおられるようです。まさに、天狗の姿に見えたかもしれません。
【現代人との係わり・存在感】
 青葉山の天狗と神野山の天狗が喧嘩をして鍋倉渓ができたという神野山に行きますと、「からすてんぐ」がフォレストパーク神野山のマスコット人形として私たちを案内してくれます。また、神野山のある山添村のゆるキャラは「てんまる」と言い、やはり烏天狗をモデルにしたものです。現在は、鬼ではなく、親しみやすいキャラクターとして扱われているようです。
参考文献 ※1)奈良の伝説研究会編『奈良の伝説』(S55.9.25.日本標準)
※2)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)
※3)葛城市民話編集委員会編『葛城のむかしばなし』(2008.2.15.御所市立図書館)
※4)野迫川村史編纂委員会『野迫川村史』(S49.9.20.野迫川村役場)
※5)奈良県教育委員会事務局文化財課『十津川村史』(S36.5.20.十津川村役場)
※6)東吉野村教育委員会『東吉野郷土誌』(S47.3.1.)