十一番目の作者
名前:参議篁(おののたかむら)
生没年:803〜852
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:小野篁とも言い、863年に没したとも言われている。
篁は、和歌や漢詩を多く作った人です。834年に、遣
唐副使に任命されましたが、問題を起こしてしまい
隠岐に流されてしました。
十二番目の作者
名前:僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
生没年:816年〜890年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:6歌仙人の1人。俗名を良岑宗貞ともいう。仁明天皇
の時代に蔵人という役職につき蔵人頭にまでのぼりつ
めます。しかし、850年に天皇が亡くなると、出家し
て遍昭となのりました。
十三番目の作者
名前:陽成院(ようぜいいん)
生没年:868年〜949年
性別:男性
出展:「後撰集」
経歴: 第57代天皇です。清和天皇の皇子で、陽正天皇と言い
ます。この天皇は色々な伝説があり、おかしな振舞いが多
かった、いわれています。
十四番目の作者
名前:川原左大臣(かわはらのさだいじん)
生没年:822年〜995年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:源融(みなもとのとうる)といい、平安初期の公卿です。
嵯峨天皇の皇子ですが、「源」という姓をもらい、臣籍降
下します。とても、風流を好む人で自分の屋敷の庭に、陸
奥国(現宮城県)の塩釜の風景と同じものを作りました。
十五番目の作者
名前:光孝天皇(こうこうてんのう)
生没年:830年〜978年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:仁明天皇の皇子で、第58代の天皇です。天皇として
在位したのは、たった3年間だけでした。しかし、天皇は
は、若い頃から文学を好み、芸術を理解する聡明な人
物だった、と伝えらています。
十六番目の作者
名前:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
生没年:819年〜893年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴: 在原行平(ありわらのゆきひら)とも言います。平城
天皇の阿保親王の子で、17番目の作者在原業平の兄
にあたります。仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多天皇
に仕えました。奨学院という学問所を作ったり、歌合せ
を開いたり、芸術の理解者でもありました。
十七番目の作者
名前:在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
生没年:825年〜880年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:六歌仙の一人で、中納言行平の弟です。業平は、「
伊勢物語」の主人公です。物語の中に登場する業平
は、実際の人物と同一視するこはできません。この在
平を題材にした説話・謡曲・舞踊・絵画・浮世絵などが
盛んにに作られました。
十八番目の作者
名前:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきのあそん)
生没年:???年〜901年
性別:男性
出展:「古今集」
経歴:宇多天皇に仕え、役人として、天皇の信任えた敏行です
が死亡した年代は正確によく分かっていません。一説には
907年死亡したともいわれています。敏行は、歌人としても
多くの和歌を歌合せに提出し、活躍しました。また、敏行は
「古今集」の代表する歌人です。
十九番目の作者
名前:伊勢(いせ)
生没年:877年頃〜938年頃
性別:女性
出展:「新古今集」
経歴:平安前〜中期にかけて、活躍した歌人です。父親の藤原
継蔭は文章生出身で、親類などには、大学頭になったひと
がいて、学問を好む雰囲気の中で成長しました。また、宇多
天皇や、藤原仲平、藤原時平との恋愛をしました。
二十番目の作者
名前:元良親王(もとよししんのう)
生没年:890年〜901年
性別:男性
出展:「後撰集」
経歴:13番目の陽成天皇の皇子です。「後撰集」の歌人で 、とて
も風流を好み、恋愛に生きた人物です。歌は、女性との贈答
歌が多く多彩な女性と関係を持った、と言われています。
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