七十一番目の作者
名前:大納言経信(だいなごんつねのぶ)
生没年:1016年〜1097年
性別:男性
出典:「金葉集」
経歴:民部卿源道方の子で、藤原経信といいます。子に源俊頼が
います。蔵人頭、参議などの官職を経て1091年に大納言に昇
進します。1094年に太宰権帥(だじのごんのそち)に任じられま
した。経信の歌は格調高く、藤原俊成・定家がお手本になりま
した。また、漢詩も作り、その才能は藤原公任と並ぶものでした。
七十二番目の作者
名前:祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)
生没年:???年〜1113年頃
性別:女性
出典:「金葉集」
経歴:平経方の娘です。後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えました。
また、兄が紀伊守だったので、祐子内親王家紀伊と呼ばれるよう
になりました。歌の才能もあり、歌集「一宮紀伊集」には恋の贈答
歌が多く残っています。
七十三番目の作者
名前:前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)
生没年:1041年〜1111年
性別:男性
出典:「後拾遺集」
経歴:代々学者をだしている、大江家出身の人で、大江匡房といいます。
1088年(寛治2年)に参議、1094年(嘉保元年)に権中納言に至ります。
白河院別当・記録所寄人として、白河院政を支えました。また、関白
藤原師通と親交がありました。和漢文などに秀れていて、多くの作品を
現代に残しています。
七十四番目の作者
名前:源俊頼朝臣(みなもとのとしよりのあそん)
生没年:1055年〜1129年
性別:男性
出展:「千載集」
経歴:源経信の子で、俊恵の父にあたります。歌人としては、堀河院歌壇
で活躍するなど、歌の才能がありました。多くの歌合に参加しました。
1124年(天治元年)に、白河院の勅命をうけ「金葉秀」の撰集をおこな
いました。藤原基俊とライバル関係にあり、和歌の世界に新風を吹き
込みました。
七十五番目の作者
名前:藤原基俊(ふじわらのもととし)
生没年:1060年〜1141年
性別:男性
出展:「千載集」
経歴:右大臣藤原俊家の子で、関白藤原道長の曾孫にあたります。名門の
家に産まれましたが、若い頃に父を亡くしてしまい、昇進がなかなかでき
ず、官位は低いままで一生、終わりました。また、歌の才能がありました
が、なかなか歌壇に登場できませんでした。しかし、漢詩文に堪能で、藤
原定家の父の俊成もその教えをこいました。
七十六番目の作者
名前:法性寺入道前関白太政大臣
(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)
生没年:1097年〜1164年
性別:男性
出典:「詞花集」
経歴:本名を藤原忠道といいます。関白忠実の長男で、藤原頼長の
兄です。鳥羽上皇の院政の開始により、父忠実が内覧になった。
内覧は関白と同じぐらいの力を持つため、関白の忠道は、鳥羽上
皇の皇后と手を組み、忠実と頼長と対抗した。そして、保元の乱で
崇徳上皇方の頼長を倒すのに成功しました。忠道は文芸の才能が
豊かで、和歌や漢詩などが秀れていました。
七十七番目の作者
名前:崇徳院(すとくいん)
生没年:1119年〜1164年
性別:男性
出典:「詞花集」
経歴:57代の天皇です。鳥羽天皇の皇子で、白河法皇の意向で
5歳即位しました。法皇死後、政権を父鳥羽上皇に奪われ、
1141年に近衛天皇に譲位させられました。その没後、政権は
後白河天皇に奪われ、ついに保元の乱を起こしてしまいます。
乱に敗れて讃岐に流され、当地で没しました。
七十八番目の作者
名前:源 兼昌(みなもとのかねまさ)
生没年:不詳
性別:男性
出典:「金葉集」
経歴:美濃守源俊輔の子です。生没年は、はっきりしていませんが、
1128年頃まで生きていたこは、分かっています。藤原忠道の屋敷
で開かれる歌合に参加し、忠道家歌壇で活躍しました。晩年は出
家したといわれています。
七十九番目の作者
名前:左京大夫顕輔(さきょうだいふあきすけ)
生没年:1090年〜1155年
性別:男性
出典:「新古今集」
経歴:藤原顕子で、藤原顕輔といいます。子に清輔や重家などがいます。
白河天皇の近臣として昇進していきますが、後に疎外されてします。
しかし、天皇没後はまた政界に復帰します。顕輔の近くには多くの優
れた歌人いました。また、歌会や歌合などに多く参加し、活躍しました。
「詞花集」の撰者です。
八十番目の作者
名前:待賢院堀川(たいけんもんいんほりかわ)
生没年:不詳
性別:女性
出典:「千載集」
経歴:神祗伯源顕仲の娘で、白河天皇の皇后待賢門院に仕えました。
姉妹に、大夫典侍、上西院兵衛などの有名な歌人がいます。111
4年(康治2年)に崇徳院に召され、多くの歌合に参加しました。また、
西行法師とも交流がありました。
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