俳句はいかにして生まれ、今日の形をとるに至ったのか?
現在の俳句になるまで | |||
いろいろな知識
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日本人は、中国の文化から取り入れた漢詩を元にして日本独特の歌を作りました(短歌)。
連歌は、三十一文字の短歌を上句・下句に分け、二人の唱和で一首とするもので、短連歌といいました。やがて長連歌というものが発生しました。 そして室町時代末期、庶民的でこっけいな、俳諧連歌が興りました。これは松尾芭蕉らによって芸術にまで高められ、独立した文化として作り上げられました。一般には俳諧と呼ばれていました。 明治以降、連歌に対して俳諧を特に連句といった。連句の第一句にあたる発句は現在の形の俳句と同様に用いられるようになったのですが正岡子規が俳句という名称を定めてから、発句という名称は使われなくなりました。 |
・俳句に著作権はあるのか
著作権の保護対象である著作物は,思想・感情を創作的に表現したもので、
文芸、術、美術又は音楽の範囲に属するものをいい、小説、論文、俳句、楽曲、詩歌、絵画、彫刻などが含まれます。
季節感をあらわす語で、必ず句に読み込まなくてはなりません。
内容、意味の切断により余情を誘引し、句の主題を強調する効果があります。簡単に言えば、「や・かな・けり」などです。 例 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな (与謝蕪村) |