咸臨丸には、実に様々な人々がかかわっていました。 そこで、その人々を紹介していこうと思います。
かの有名な福澤諭吉も福澤塾を開いた後、 万延元年の渡米使節随員として咸臨丸に乗り込んだ。
ボーハタン号と咸臨丸に乗って遣米使として アメリカへ行った。勝海舟のライバルだったらしい。
運用方兼鉄砲方として乗り込み、 大いに活躍した。米国軍艦の礼砲に応えて、 当直将校の佐々倉が答砲した。
この人が来なければ日本はまだ鎖国状態 だったかもしれない、というほど。開国要求する ため、強引にも攻撃する予定だったらしい。
1868年、8月19日に咸臨丸は 榎本武揚が率いる幕府艦隊に属して品川を脱走した。