マリー・アントアネットに愛を誓った外国騎士
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1755年マリー・アントアネットと同じ年にスウェーデンで生まれる。
その後、青年貴族に必要なことを全て身に付け1773年にパリの社交界
デビューをした。
1774年の仮面舞踏会で フランス王太子妃マリー・アントアネットと
出会う。その頃からアントアネットを愛していたが、ルイ15世が崩御すると
共に 悪い噂が立つのを恐れ、スウェーデンに戻る。
1778年、再びパリに戻る。その後は、アメリカ独立戦争に参加するなど、
フランスに尽くしていた。結婚話を出されたが、全て断った。そして、
マリー・アントアネットとは友達の域を超えない程度に、遣えていた。
革命勃発後は、バレンヌの逃亡など、国王一家を助けるために手を尽くし
逃亡が失敗してからも、国王一家を助けるためにいろいろ画策した。
マリー・アントアネットが処刑されると、愛する女性を殺した民衆を
憎んだが、それでも外交使節として活躍し、どんどん出世して
スウェーデンの元帥にまで昇格した。
スウェーデン王太子が急死すると、「フェルゼンが王位を狙ったのでは」
という噂が広まり、1806年6月20日ストックホルムで民衆により、
惨殺された。