
やさしすぎた若き国王
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1770年16歳で マリー・アントアネットと政略結婚させられる。
1774年祖父 ルイ15世の崩御により、20歳という若すぎる年で
国王に即位する。
知識は豊富だったが、その頭脳をうまくいかせず、貴族たちに馬鹿に
された。性格は 心やさしく、一人も愛妾を作ることなく、一途に
マリー・アントアネットを愛しつづけた。が、優柔不断で国王には
向かなかった。
その優柔不断さが革命に影響し、周囲の言うがままに バレンヌ
逃亡事件の際には完全に民衆の信頼が無くなってしまう。
1792年で、王権を停止され 1793年裁判の後、処刑される。
毎日欠かさず日記をつけていたが、書く言葉は必ず「何もなし」
だったという。国王の器には向いていなかったのだろう。