項目(クリックするとその考察を見ることができます)
■鳥捕り
■かつての鳥捕り
■理想を求めること
■鳥捕り
八章では、鳥捕りがキーパーソンであるが、物語全体から考えると、彼は異様な存在にも思える。鳥捕りの存在は、どの様な役割を果たしているのだろうか。
鳥捕りは、ジョバンニ達にどこまで行くのかと訊ね、「どこまでも行くんです。」という返答を得た。それに鳥捕りは好感を持った様に「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」と言った。この言葉は、鳥捕りが何度もこの銀河鉄道を乗り降りしている可能性があり、この列車について詳しく知っていることが読み取れる。 ここで、銀河鉄道はどの様な列車であるかを考えたい。
カムパネルラが銀河鉄道に乗っているのは、死んでしまったので天上へ向かうためである。このことから、銀河鉄道は死者が天上へ行くために乗っている汽車であると考えられる。一方、鳥捕りは死者なのであろうか。カムパネルラや、九章の青年達は死者なので、天上へ行ける駅で降りている。何度も銀河鉄道に乗り降りしている鳥捕りは、天上に向かっていないので、恐らく「死者」ではない。現に、ジョバンニは死者ではないので、銀河鉄道には、死者を乗せる以外にも目的があると考えられる。
■かつての鳥捕り
では、それ以外の目的は何だろうか。死者として乗っていない、ジョバンニと鳥捕りの共通点から考えてみよう。
ジョバンニは、鳥捕りの商品である鳥を食べて、鳥じゃなくてお菓子(チョコレートみたいな)ではないか、と言っている。彼は鳥捕りを「どこかそこらの野原の菓子屋」と呼び、もらった鳥を「ばかにしながら」食べている。そのため鳥捕りがもっと食べるように勧めた時、もっと食べたいと思いながらジョバンニは敢えて遠慮している。それに鳥を食べることに対して「おかしい」と言ったり、鳥捕りが鳥を捕る姿に「奇体」であるとも言っている。ジョバンニは鳥捕りことを馬鹿にしていたり、信用しきれない部分がある。 が、一方でジョバンニが鳥捕りに抱いた第一印象は「なにかなつかしそう」というものだった。ここでジョバンニは鳥捕りの何になつかしさを感じているのだろうか。 鳥捕りは、ジョバンニの「どこまでも行くんです。」という言葉に好感を持ったかの様にジョバンニとカムパネルラに色々話し始める。そしてジョバンニとカムパネルラに鳥のことを色々教えたり、商品である鳥を食べさせたりしている。鳥捕りはカムパネルラに鳥を「ただのお菓子でしょう。」と言われた直後、慌てて汽車を降りる。そして「せいせいした」と言い、鳥を「からだに恰度合うほど稼いで」きたところで汽車へ戻ってくる。しかし九章で、彼はジョバンニの切符を見て、その切符は本当にどこまでも行ける切符であると教え、羨ましがる。そして鷺の停車場で、いつの間にか居なくなっている。
ここで考えられるのは、鳥捕りもかつては銀河鉄道に乗ってどこまでも行くことを望んでいた人なのではないかということである。彼がジョバンニの「どこまでも行くんです。」という言葉に好感を持ったのも、かつての自分もそう思っていたから。そしてジョバンニが感じたなつかしさも、鳥捕りの持つ面影、過去の願いが自分と共通しているから。しかし、どこまでも行こうと思っていた鳥捕りは、現在銀河鉄道を乗り降りしている。つまり今はどこまでも行こうとは思っていない。鳥捕りはどこでも行こうという願いを断念してしまい、銀河の鳥たちを捕りそれをお菓子に代える商売を始めてしまった。そのためジョバンニは、現在の鳥捕りの姿に良い印象を持てないのであろう。
鳥捕りは、自分がどこまでも行くことを断念したので、心の何処かでジョバンニはどこまでも行くことが出来ないと思ったのではないだろうか。しかしジョバンニの切符を見て「どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」と驚き、その切符を羨ましがる。ジョバンニは途中で諦めた自分と違って、ちゃんとどこまでも行ける術がある。鳥を捕っていい気分になっていた鳥捕りだが、その事実が彼を消沈させたのではないだろうか。そして切符を見て驚いた鳥捕りに対しジョバンニは申し訳ない気持ちになる。その切符はジョバンニが知らない間に持っていたものだが、鳥捕りはそれをとても羨ましがっていたからだろう。それは「どこまでも行ける切符」なので、恐らくかつて鳥捕りが欲しがったものなのだろう。しかし、現在の自分は途中でどこまでも行くことを諦めた者なので、それを持つ資格がない。そう思い、鳥捕りは何も言わずに汽車を降りたのではないだろうか。
■理想を求めること
では、銀河鉄道に「ずっと乗っている」こと、「どこまでも行く」こととは何なのだろうか。
鳥捕りとジョバンニが汽車に乗っている(鳥捕りの場合は乗っていたであるが)目的は、「理想を求めること」ではないだろうか。ジョバンニが銀河鉄道に乗っていたい理由は、いつも仕事で一緒にいられなかったカムパネルラとずっと一緒に居ることである。しかし彼は旅を続ける内に、カムパネルラと「どこまでもどこまでも一緒に」行きたいと願いと共にもう一つ、「ほんとうの幸」のことを考える。彼は「ほんとうの幸」とは何か、「ほんとうにみんなの幸」のために何でもしたい、という様なことを考える。それが一種のジョバンニの願いであり、「ほんとうの幸」はみんなのための「理想」の幸であると言えるのではないだろうか。 そして死者でない鳥捕りもまた、理想を追い求めて銀河鉄道でどこまでも行こうとしたのだろう。しかし彼は、理想を求めることをやめてしまう。彼の理想がどういったものなのかは分からないが、彼が現在行っている商売から考えても、達成が困難な理想だったのだと考えられる。鳥捕りの鳥の商売は、彼のみすぼらしい風貌から察するに儲かる商売とはとても言えない。つまり鳥捕りは、理想を求める道を外れて、鳥の商売の方を選んだ。そちらの方が、彼にとって理想を求めることより楽な生き方であると言えよう。
このことから、鳥捕りは理想を求め銀河鉄道に乗車したが、今では銀河で鳥を捕って銀河鉄道に乗り降りしている者であることが分かる。
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