■暗示
ジョバンニとカムパネルラの旅の中には、ジョバンニを不安にさせるカムパネルラの異変もある。例えば六章で、ジョバンニが列車に乗ったカムパネルラを発見した時、カムパネルラは「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふう」であった。また七章でも、「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」と突然言うカムパネルラの台詞がある。ジョバンニはカムパネルラと楽しい旅を過ごすのだが、これらの場面はこれから訪れるカムパネルラとの別れを暗示している。
六章の「ぬれたようにまっ黒な上着」や「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふう」といったカムパネルラの描写は、彼が川に落ちたことを示し、そして七章の「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」のいいこととは、ザネリを助けたことを示すのであろう。この様に、文中にはところどころカムパネルラの身に起きたこと示す伏線が貼られている。それらの伏線がまた、銀河鉄道が死者を乗せる列車なのであることを暗示している。
■「ほんとうの幸」と「ほんとうに幸」
カムパネルラの台詞で「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする」というものがある。この「ほんとうに幸」とは、この物語の重要なキーワードとして挙げている「ほんとうのさいわい」とは異なるのである。「ほんとうに幸」とは「幸」の度合いのことで、「幸」のなかでももっとも大きな幸、という意味である。対して「ほんとうの幸」とは、みんなの幸になることを示す。(cf.
「ほんとうの幸」)
つまり「ほんとうの幸」と「ほんとうに幸」は別々のものなのである。
■北十字
この章の題名となっている「北十字」という言葉は直接物語に登場していないが、一体何のことだろうか。
「立派な眼もさめるような、白い十字架」の登場で、乗客の人々は一斉にそれに向かって祈り出した。そして現在ジョバンニ達が向かっているのが白鳥の停車場である。また列車は銀河を走っているので、これらのことをを合わせ、白い十字架は、星座の白鳥座の形のことであると予想できる。白鳥座の十字架の形をしていて、その別名をノーザンクロスと言うのである。つまり「北十字」は白鳥座から名付けられている。
またここで祈る乗客たちの中には、「バイブル」を持った者や「数珠」を持った者が居る。列車の中には多宗教の人達が乗っているの様に思わせている。
■プリオシン海岸での採掘現場
プリオシン海岸で行われていた採掘は、賢治の体験、知識が元になっていると考えられる。プリオシンとは、「地質年代の一つ、第三期の鮮新世(約1200万年前から200万年前)」(※1)のことである。賢治は学生の頃良く地質を調べたり、鉱物に大変興味を持っていた。そして彼は、北上川の泥岩層の川岸を「イギリス海岸」と呼んでいた。プリオシン海岸は、「銀河鉄道版のイギリス海岸」ではないだろうか。賢治は教諭時代に良く生徒達とイギリス海岸へ行っており、その頃に「イギリス海岸」という作品を書いている。プリオシン海岸でカムパネルラが拾った「黒い細長いさきの尖ったくるみの実」は、当時のイギリス海岸で良く見られたバタクルミのことであろう。
この様に、プリオシン海岸は銀河上のイギリス海岸として描かれている。
※1 原子朗(編/著) 「プリオシンコースト」(p.617)
『宮沢賢治語彙辞典』 東京書籍 1989年10月14日