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項目(クリックするとその考察を見ることができます)
■としの存在
■銀河鉄道の旅
「銀河鉄道の夜」の主人公のジョバンニとカムパネルラにはモデルが居る。カムパネルラのモデルは賢治の妹のとしで、ジョバンニのモデルは賢治本人なのである。
としの存在
としは賢治にとって、五人居る弟妹の中でも特別な存在だった。例えば、賢治が研究生だった時、東京で教諭をしていたとしが入院したと聞き、すぐに上京して、彼女が退院するまで看病を続けた。賢治はとしが病気になる度に彼女の元へ駆けつけた(cf.宮沢賢治について)。また、としは賢治の創作活動に大きく関わっている。歌稿を筆写しまとめたりするのはもちろんのこと、作品に関して意見を言ったりしていた、賢治の執筆に対する良き理解者だった。
そのとしが亡くなったことが、賢治が「銀河鉄道の夜」を書いたことへの大きな動機であろう。
銀河鉄道の旅
としが亡くなってから、賢治は傷心旅行へ出かける。その旅は、物語内でのジョバンニとカムパネルラの旅に酷似している。ジョバンニとカムパネルラの旅は、賢治の実体験に基づいているのである。旅の構想にモデルがあるのであれば、恐らくその旅をする人物、ジョバンニとカムパネルラにもモデルが居る、と考えても良いのではないだろうか。
銀河鉄道の旅は、死んでしまったカムパネルラを天上へ送り届けるための旅である。もし銀河鉄道が死者を載せる汽車であるのなら、何故ジョバンニは銀河鉄道に乗っているのだろうか。その理由の一つは、ジョバンニのカムパネルラに対する想いの強さである(他の理由については八章の考察を参照)。仕事で忙しいジョバンニは、小さいときから仲が良いカムパネルラと最近一緒に居られることが出来ない。また、子供たちからいじめらているジョバンニにとって、誰からも好かれるカムパネルラは憧れである。そのカムパネルラが死んでしまい、銀河鉄道に乗って天上へ行ってしまう。そんな時ジョバンニは、亡者の菩提をとむらう仕掛けをした天気輪の柱のある黒い丘に居た。恐らく彼のカムパネルラに対する強い想いと場所の好条件により、親友との最後の旅を楽しむことが出来たのであろう。しかし旅の終わりは、カムパネルラが天上へ、ジョバンニが地上へ戻ったことによって終わっている。
死んでいるカムパネルラと生きているジョバンニ。この二人のモデルは、死んでしまったとしとそれを哀しんでいる生きている賢治のことと言える。
何故賢治は、ジョバンニとカムパネルラを賢治ととしの様に兄弟にせずに親友にしたのだろうか?恐らく、兄弟という設定にするのは、あまりにも生々しかったのであろう。
ジョバンニの想いの強さは、賢治の想いの強さと同じなのである。
引用/参考文献
※畑山博(著) p.50 「銀河鉄道の夜」もうひとつの読み方」『銀河鉄道 魂への旅』 1996年9月5日 PHP研究所