銀河鉄道の夜を生んだ作者、宮沢賢治。
彼は一体、どの様な人物だったのだろうか?
宮沢賢治は岩手県で1896年8月27日に五人兄弟の長男として生まれた。
賢治は幼い頃から昆虫や鉱物に興味を示した。
そしてもちろん、童話や民話も好み、昔から良く文章を書いていた。
高校は農林学校を卒業し、その後も研究生として母校に残った。
高校時、妙法蓮華経に興味を示した。
研究生終了後、父との衝突もあり浄土真宗から日蓮宗に改宗した。
家族にも改宗を勧めるが、受け入れてもらえず、無断で上京した。
その後、稗貫郡稗貫農学校の教諭に就任した。
その頃に最愛の妹としが亡くなった。
としの死が、「銀河鉄道の夜」を書く大きな動機となった。
教諭を退職してから、賢治は下根子桜で一人暮らしを始めた。
農業に励んだり、創作活動を続けて生活をしていた。
しかし、その頃の質素な生活が仇となり、急性肺炎にかかった。
病気を患ってから賢治は実家に帰ることとなった。
1933年9月21日、38歳の若さで賢治はこの世を去った。
賢治の生涯をまとめた宮沢賢治年表
賢治の内面について分かる宮沢賢治エピソード集