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明治十年に起きた西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱で、敗れた西郷は自殺し、以後武力の反乱は途絶えた。
〜西南戦争の経緯〜 明治十年二月二十五日西郷軍は熊本城にある鎮台を目指して進軍を開始しました。
篠原、桐野、村田の指揮する西郷軍は約一万五千人です。 (この時、鹿児島に五十年振りの大雪が降りました)
士族軍「ほう、南国鹿児島に五十年降りの大雪だ。」
士族軍「これは吉運の前触れだ。」
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それから進軍中、九州各地から不平士族が集まり、熊本城を包囲するころにはその数が三万に膨れ上がりました。
士族軍「三万の我等の前に敵なしだ。」
士族軍「訳は無い。政府軍の兵は皆農民上がりだ。」
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しかし、城に立てこもる政府軍は谷干城以下約四千人、心を合わせて防戦しました。
@谷干城
土佐藩(高知県)出身の政治家。西南戦争の時熊本鎮台司令官として西郷軍を食い止め善戦。
のちに第一次伊藤内閣の農商務となりました。
政府軍「食料はたっぷりあるんだ!」
政府軍「政府の援軍がくるまで頑張るのだ!」
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熊本鎮台は西郷軍を二ヶ月もくぎ付けにしました。その間に政府軍が福岡に上陸し、熊本に迫りました。
士族軍「あっ、敵の援軍がきた!」
政府軍「西郷軍はあの田原坂でわが軍を迎え撃つつもりだ。」
士族軍「うぬっ、援軍を入れるな!」 政府軍「この田原坂を突破すれば熊本城は目の前だ!」
この田原坂の戦いは西南戦争で最大の激戦区の一つで、この坂をめぐり西郷軍と政府軍が
十七日間に渡って血みどろの戦いを続けました。
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三月二十日、ついに援軍は田原坂を越えました。
士族軍「あっ、篠原さんがやられた!」
政府軍「やったぞ。熊本城の兵を救い出せ!」
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四月二十日、ついに援軍は熊本城に入城しました。
政府軍「西郷軍を追い散らせ!」 政府軍「もうこっちのものだ!」
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この間に新手の黒田中将の政府軍が長崎から八代に上陸し、西郷軍を後ろから攻めました。
士族軍「あっ、政府軍に挟み撃ちになったぞ!」
政府軍「これで西郷軍は鹿児島からの補給がたたれ、根無し部隊となったぞ!」
西郷軍は人吉(ひとよし)、都城(みやこのじょう)、宮崎、延岡と後退。その勢力は次第に弱まっていきました。
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九月一日、悪戦苦闘の末、ついに数百名となった西郷軍はもとの鹿児島に落ち延び、城山へこもりました。
士族軍「ここを最後の決戦場としよう。」
政府軍「反乱の士族は残らず討て!」
士族軍「もはやこれまで。薩摩の隼人の最後を飾ろう!」
この城山の激戦で桐野利秋、村田新八(しんぱち)も戦死しました。
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明治十年九月二十四日、西郷は自らの命を絶ち、維新最大の士族の反乱・西南戦争は終わりました。
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この敗戦で武士の誇りを失った士族達は政府の組織だった軍隊の前に、もう武力で反抗しても駄目なのだと考えるようになりました。
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