ヒステリーについて


フロイトの家計は、大家族でした。フロイトは、その家族を養うために学者の道を諦め開業医になります(フロイトの生涯参照)。

フロイトは開業する前に、奨学金で、パリのシャルコーという医者のもとに留学しました。フロイトはシャルコーのもとで、自然科学的な研究をしたいと思っていたのですが、当時シャルコーはヒステリーについて強い関心を持っていて、ヒステリーが心理学的に探求可能であると証明をしていました。


ヒステリーは目が見えない、手足がしびれる、など多くの症状がありましたが原因はわかりませんでした。
なので、仮病だとか、または子宮があいこちに移動する事によって起こると言われていて、子宮の無い男性には起こらない女性だけの病気だと言われていました。
しかし、シャルコーが心理的に解決が出来ると証明したので、フロイトの興味はヒステリーなど病的なものに移り、ウィ−ンに帰国しました。

ウィ−ンに帰国した後、フロイトは学んできた事から、医師会で、ヒステリーは心理学的なもので、子宮の無い男性でもヒステリーになりうると発表しました。
しかしこのことは医師達の反感を買い、その後医師会から孤立することになりました。