七月六日、月曜日、夕方――
あなたは、ひどく苦しんでおられる、最愛の人よ――たった
いま、手紙は早朝に出さねばならないことを知ったところで
す。月曜と――木曜、この日だけ、ここからKへ郵便馬車が
出るのです――あなたはひどく苦しんでいる――ああ、私
がいるところにはあなたもいっしょにいる、私は自分とあな
たとに話しています。いっしょに暮らすことができたら、どん
な生活!!!!!そう!!!!!あなたなしには――あち
こちで人々の好意に悩まされる――私が思った、好意はそ
れに価するだけ受けたいものです――人間に対する人間の
卑屈さ――それが私を苦しめます――そして自分を宇宙と
の関わりで考えれば、私の存在などなんでしょう。また人が
偉大な人物とよぶものがなんだというのでしょう――しかし
それでも――そこにはやはり人間の神性があり――私から
の最初の消息を、あなたが土曜日でなければ受け取れない
と思うと、泣きたくなります――あなたがどんなに私を愛して
いようと――でも私はそれ以上にあなたを愛している――
私からけっして逃げないで――おやすみ――私も湯治客ら
しく寝に行かねばなりません――ああ神よ――こんなにも親
密で!こんなにも遠い!私たちの愛こそは、天の殿堂その
ものではないだろうか――そしてまた、天の砦のように堅固
ではないだろうか。――
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アントニー
銀行家と結婚したアントニーは、決して不幸とは云えないまでも夫との性格の違い、また大家族の主婦としての負担に疲れ、三年このかた病気の父親を看病方々ヴィーンに来ていた折りにベートーヴェンとの出会い、次第に心が通うようになったのでした。父の死後、遺産財産を整理して密かにイギリスに行きを計画し、新らしい生活をベートーヴェンと共に持つことを彼女は考えていたのでした。
そこへ突如としての体の変調、すなわち思いもかけなかった妊娠、それもこともあろうに殆ど別居同然であったのに夫との「別れの儀式」によるこの突然の異変によって、彼女はもう錯乱状態に落ち入りかけたのでした。
それを極力宥めるベートーヴェンの愛の手紙の調子、そう考えることによって、あの激情の愛の奔流の文面と、出来るだけ早まったことがないように宥めすかし懇願する奇妙な調子の説明がうまくいきます。
更にそれにベートーヴェンにとって運命はもう一つの痛撃、奈落の底に突き落とす事実が重なった。それはジョセフィーヌとのことでした。 たしかにベートーヴェンは彼女を愛したのでした。しかし前述のように、ジョセフィーヌは最終的にはシタッケベルク男爵と
結婚をしてベートーヴェンから去っていったのです。
そして、ベートーヴェンに運命の最後の一撃を与えたのは、ジョセフィーヌの最後の子供はベートーヴェンの子供であり、そのミンナ・ベートーヴェンの出産をウィーンを離れて助けたのはテレー
ゼであり、そのことを奇しくも1812年の同じ時期にベートーヴェンは多分同じカールスバッドで報せを受けたのでした。しかもテレーゼから。
それがベートーヴェンにとって、どんな衝撃であったことでしょう。
エアデーディ伯爵夫人
ジョセフィーヌがベートーヴェンから去った時、ベートーヴェンは深い絶望感を抱いていたに違いないのです。その心の重荷を受け止めてくれる人がいたとしたらそれはエアデーディ伯爵夫人でした。二人の出会いはヴァン・スィーテン男爵家の音楽会でした。1804年にベートーヴェンは引っ越してきて彼女の隣人となって、二
人の親交は始まっています。
ベートーヴェンは彼女の家を出て、二人の交際が再び心の籠もったものとなるのは1815年から後のことでした。
ベートーヴェンは後に作品102のチェロ・ソナタ二曲を彼女に捧げています。
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