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しょう油の歴史


しょう油の祖先は「ひしお」と言って、日本で大昔から作られていたものです。
「ひしお」は、空気中にいるこうじ菌などの様々な菌が塩漬けの肉や魚、草などに入り込んで、
長い間に菌たちの働きが材料をドロドロにし、味やかおりが変わっていってできたものです。
肉や魚、野菜につけて食べていたと言われています。
漁や狩をして生活していた時代には、獲物の肉には少し塩気があったので調味料は
いりませんでしたが、米や麦を食べる時代になると米や麦には塩気がないので、人々は
塩気を求めました。そのため「ひしお」が作られたと考えられています。
500年代に中国から大豆が伝えられると、米や麦、大豆などを材料に「穀びしお」が作られ
(作り方は中国や朝鮮半島から伝えられた)、これがしょう油の先祖だと言われています。
平安時代には「ひしお」は商品として売られるようになり、身分の高い人しか買うことのできない
高価な調味料でした。
鎌倉時代には、禅宗のお坊さんが、径山寺【きんざんじ】みそを漬け込んでいるうちに
染み出してくる液体がおいしいことを発見し、この液体を調味料として使うようになりました。
これが後のしょう油作りのヒントとなりました。
室町時代には「こうじ菌」を集めた「こうじ」を売る店も現れ、空気中のこうじ菌に
頼ることなくひしおを作ることができるようになりました。そして1520年代に
初めて「醤油」という文字が現れました。紀州では湯浅という地域で
径山寺みその液体に工夫をした「たまりしょう油」が作られ始めました。
江戸時代には、その「たまりしょう油」が日本各地で作られるようになり、
播磨(昔の兵庫県)では薄くちしょう油が、下総(昔の千葉県)では
濃いくちしょう油が作られるようになりました。
しょう油が広まると、料理中に味つけをするようになり、煮物やおでん
などの日本料理が次々とあらわれました。明治時代からしょう油は
工場で大量生産されるようになり、今では外国でも人気で、アメリカを
はじめとする約100カ国に輸出されています。