フランスでの結婚生活

フランスでの結婚生活

不幸な結婚時代

華やかなイメージのヴェルサイユ宮殿での生活。ゴージャス過ぎて私には想像できませんが、マリーにとって退屈なものだったようです。

皇太子(ルイ16世)の二人の未婚の叔母のご機嫌をとらなくてはならず、皇太子は狩に夢中でマリーは一日の大半を叔母と過ごさなくてはなりませんでした。叔母達と過ごす生活は単調なもので若いマリーにはさぞかし退屈だったことでしょう。

マリーは母国オーストリアの外交官メルシーに、「帰りたい」と伝えましたが、当時オーストリアとロシアは戦争寸前の危険状態。こんな状態でマリーが帰国したらフランスとの繋がりが切れ、その機会にロシアがオーストリアに侵入してくると言われてしまい、マリーはフランスを離れることができませんでした。
寂しさと退屈な生活をまぎらわそうと、マリーは舞踏会に毎晩のように出かけていきました。1774年1月、仮面舞踏会でマリーは ハンス・アクセル・フォン・フェルセン に出会います。同い年の彼とマリーは次第に親密になっていきました。

ルイ15世が死去し、皇太子がルイ16世として即位したことにより、マリーも皇太子妃から王妃となりました。
このことにオーストリアは喜びましたが娘を心配する母としてマリア・テレジアにとっては政情不安なフランスに娘の身を案じていました。
マリーへの手紙には王妃という身分の重みを諭しています。



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