ヴェルサイユ行進

ヴェルサイユ行進


かつて国王が紙の代理人であった絶対王政の時代、太陽王ルイ14世は「朕は国家なり」とあの有名な言葉を残したが、フランス革命前のフランスは今や「国民こそ国家」の時代でした。
不運にもマリーはこの激動時代の真っ只中にいあわせてしまったのです。

自由・平等を掲げた誇り高い革命精神はバスチーユ襲撃の7月14日から2ヶ月も経たずに変貌してしまいました
10月5日、パリでは下層階級の家庭を守る女性たちが失業とパンの値上がりにとうとう堪忍袋の緒が切れたのです。
彼女たちは「王様にパンをもらいに行こう」とデモ行進で国王に訴えかけました
身分格差の激しい当時のフランスのうのうと暮らしていた貴族達はで、パンも買えない。作物は不作。重い税金。金があるくせに税を払わなくていい特権階級の貴族達。こんな社会でどうやって生活しろと言うのでしょうか?


実はこの騒動、巧みに計画されたものだったのです。何者かがパンを買占め、それによって飢えに陥った民衆怒りを爆発させ、国王や王妃に原因があると考えるように仕向けられていたのです。
民衆は外国から嫁いで来た王妃に不満や憎しみを募らせていくようになりました。
そこでまことしやかな噂がながれたのです。王妃は民衆が飢えで困っているときに「パンがなければバター入りのお菓子を食べればいいのに」なんて事を言っている、と。

このとき国王はベランダに出てきて彼女たちの要求、『ヴェルサイユに閉じこもっていないでパリにあるテュイルリー宮殿に出てきてパリの現状をその目で見て欲しい』に答えています。
その約束通り国王一家はテュイルリー宮殿に移りました。
ここで、パリの現状を知った一家は自分の身の安全に不安を感じます。他国での革命、いつ自分の身が危なくなってもおかしくないのですから。
この不安が一家が亡命しようと決断させたのです。


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