口話法と聴覚障がい教育について



口話法は、18世紀にドイツのハイニッケ(1727―90)によって確立され、近・現代聴覚障がい教育の中心的な教育方法となりました。

聴覚障がい児に口話を学ぶ機会を与え、口話能力を向上させることの意義は、教育者の間で意見が一致されています。

しかし、口話法だけの独占的使用を主張する意見(純口話法)に対しては、多くの疑問や、「純粋な口話」だけでは学力も伸びないといったような反論が出されるようになり、 手話、指文字などの他のコミュニケーション手段も同時に活用すべきだとする教育実践が、 アメリカを中心に展開されています。

それを、「トータル・コミュニケーションの展開と二言語教育の台頭」と言います。

このような、口話のみにたよらない多面的コミュニケーション手段を推進する理由として、

・聴能、読話の言語受容は確実ではないということ
・聾児(ろうじ)の発音ははっきりしてないということ(聾児声)
・口話指導は困難が多いということ

があげられています。

従来の「口話手話論争」は新しい段階に入ったといえます。

 わが国における口話法の普及は1920年(大正9年)、東京に口話法の聾学校(日本聾学校)がつくられたことにはじまります。

そして次第に普及して、昭和10年代にはほとんどの聾学校が口話法に切り変わりました。

「口話法」の主張者は、

「手話は幼稚な言語であって語法が国語と一致せず、抽象的概念や論理的表現ができない」
したがって日本語と対応する「口話法」によるべきであり、聴覚障がい者はそのことにより社会的な人間として自立し得る

としました。

現在、「口話手話論争」の時期を経て「口話法」が聾学校の教育の分野では全国的に広がっていますが、では口話法の普及によって成果があがったかというと、これもまたいろんな問題を残してきました。

第一には、口話法の上達には集中した訓練が必要であり、児童に抑圧感を与えたり、それに適さない児童が出てくること。

第二には、人の唇の動きを読み取ったり、発音をしても自分で調節できにくいため家族の協力が必要で、その負担が大きいこと。

第三には、口話ができることこそ優位な人間だとする人間観が出来上がっていて、手話を使うことが厳しく排除され、教育と福祉、聴覚障がい者の運動を分断してきたこと。

などがあげられます。

口話法が大々的に取り上げられてきた時代に聾学校で教育を受けてきた人たちは、今でも手話が使えないという場合が少なくありません。



      

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