第6章〜反平氏の台頭〜

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反平氏勢力の台頭

平氏の官職の独占の拡大が進む一方で、排除された旧勢力から強い反感を受けてしまった。
特に後白河法皇の事件が有名である。
1177年、鹿ケ谷の陰謀という事件が起こった。
これは、院の近臣の平氏打倒計画、露見し失敗し、藤原成親らが処分された。
後白河天皇を幽閉したことや反対派貴族を処分したことと、安徳天皇の即位により
反平氏感情が拡大していった。
そして平清盛は1177年に後白河法皇を幽閉して、関白より下の位の貴族の官職を
うばって処罰するといった強制的な手段で国家の機構をおさめて政界のトップにおどり出た。
権力を独占した清盛であったが、それによってかえって院や貴族、寺社、源氏などの反対勢力の結集を 促し、平氏が没落するのをはやめる結果となってしまった。

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