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プラトン
(Plato)(紀元前427年 - 紀元前347年)

プラトンの哲学思想

 プラトンは、ソクラテス(プラトンの師)が考え出した哲学を基本として、本当の知識とは何かを研究し、イデア論と呼ばれるものを考え出しました。プラトンの哲学は、今でも大きな影響を与えていて、20世紀のイギリス人哲学者は「プラトンより後の哲学は、プラトン哲学の脚注(すなわち解説書)に過ぎない」と言っています。
 一般的にプラトン主義とは「永遠の真理」「永遠の善」「永遠の美」の3つを指しています。
 プラトンの哲学の動機は、ソクラテス(プラトンの師)を死に追い込んだアテネ(ギリシア)社会でした。アテネ社会のソフィスト(法律家)たちがソクラテスをおとしいれたのです。ソフィスト(法律家)たちの考えで、悪い事の基準は、状況や場所によって変わる(何が正しいか正しくないかは、時と場所・人によってちがう)ということなのです。プラトンはソフィスト(法律家)たちのこのような考えに反対して、悪い事の判断をする確かな基準、人によっても場所によっても変わらない永遠で絶対の判断基準を見つけ、それをイデア論という形にしたのです。もう少し具体的に言えば、プラトンは、良い事そのもの(善のイデア)、正義そのもの(正義のイデア)という何かしら永遠で絶対に変わらないものがどこかにあって、人間はこのイデアによって、良い事悪い事を正しく判断することができると考えたのです。
まとめると下のようになります。

ソフィスト:
判断の基準・・・主観的、可変的、流動的、相対的(感覚の重視):ドクサ(憶見)
プラトン :
判断の基準・・・客観的、普遍的、永遠的、絶対的(理性の重視):エピステーメー(知識)

プラトンの理想

 上で説明するだけでは、プラトンのイデア論は、どうもおとぎ話のようで、信じられないものがあります。しかし、プラトンは、国の政治についてすごい事を考えていたのです。プラトンの考える国は、一部の欲の強い人たちにまかせる民主主義ではなく、本当に存在するイデアを認識した何人かの哲学者によって支配されるべきだという考えでした。プラトンはこの国の仕組みを考えるとき、人間の体の仕組みを参考にしています。人間の体は、頭と胸と下半身のから成り立ち、それぞれに様々な欲望が存在しています。そして人間の頭が体全体を管理し、全体をコントロールするのと同じように、国家も一つの体と考え、三つの部分から構成され、国家の先頭に立って国全体を治める人、すなわち王様。強い意志をもって国を守る兵士。国家の生活必需品を生産する農家や商人。この三つと、国家の最高点にあたる哲学者が正義のイデアに従って全体を支配し、バランスをとるということです。これは現代の三権分立に繋がるものがあります。
 また、プラトンは、子供を育てる教育制度についても考えていました。この頃、子供たちの教育は、今日の私たちとは違い、お父さんやお母さんが責任を持って行うものではありませんでした。子供たちの教育は、国の責任で行われ、しかも家庭環境の違いから子供たちの教育に違いがでないようにするため、子どもたちは親から引き離され、寮のようなところに集団で住むように言われます。そして学校で、子どもたちは、一人一人の能力によって哲学者(支配者)、兵士、農民や商人に分けられ、国のために働くことになるのです。子供たちは、能力に合った仕事を強制されます。ここには、職業選択の自由はないといってよいでしょう。また不平等の原因になる個人の財産は取り上げられ、全て国のものとなります。
 これがプラトンが考える理想的な国です。プラトンのこの国家論については、自由を無視した社会主義と思われます。しかし、民主主義の失敗を目の前で見ていたプラトンには、理想的な国とはこのような能力による国家しか考えられませんでした。ただ、余りにも理想的すぎて現実離れしているため、プラトンもそのことを認めざるをえませんでした。
 ともあれ、プラトンの国は、ユートピアであると言われています。ユートピアとは、今では「理想郷」と訳されたりしますが、ギリシア語本来の意味は、「ありもしないもの」という意味なのです。実際、プラトンは、自分の考える国がきわめて難しいものであることを身をもって体験することになります。
 プラトンが年をとった時に、弟子のディオンを通してイタリアのシシリー島にあるシュラクサイにこの理想の国を創ろうと二度も試したのですが、シュラクサイはプラトンの実験材料にされて大混乱になってしまい、失敗してしまいました。理想の国は、プラトンが頭の中で考えたことで、人々が理解することは無理だったのです。この失敗の後、プラトンは、「法律」という本を書いて、この理論を少し直し、哲学者が支配する国ではなく、法律が支配する法治国家(現在の国)を、二番目によい国家として、個人の財産や職業を自由に選ぶことができるよう認めました。

イデア論について―永遠の美・永遠の善

 プラトンが考えていた「見る」ということは、この肉眼つまり実際の目で物事を見るということではありませんでした。目や耳などの感覚は、人によって違うのです。例えば、味覚が一番わかりやすいでしょう。同じ食べ物でもその味は人によって違ってくるはずです。また実際の目で見たものは、時間によって変化し続け、簡単に姿を変えてしまいます。プラトンは、このような体の感覚をあまり信用しなかったのです。プラトンは、このことをギリシア語でドクサ(思いなし)と呼んでいます。ドクサとは、英語で言えばseem「〜のように見える」「〜のようだ」という意味です。
 しかしこのような話を聞いていても、イデアというものは本当に存在するのかと皆さんは思うでしょう。すでにプラトンが生きていた時代にも、このイデア論を疑う人がたくさんいました。また、プラトンのイデア論をよく考えてみると、不思議なことに気づきます。何か変なのです。そしてプラトン自身も『パルメニデス』という本で、自分で創ったイデア論に疑問に思い、イデア論に間違えがあることを認めていました。何人かの学者たちによると、プラトンは自分で創ったイデア論を全てなかったことにしたのではないかとさえ言われています。
 もう一つ理由があります。プラトンは「つくる・つくられる」という考えから、全てのものは、イデアのコピーであると考えました。しかし、こうした「つくる・つくられる」という考えは、物を言わない作り物にしか当てはまらないのです。プラトンは、机のイデアや馬のイデアなどを語っていますが、イデアは永遠に存在するものです。つまり、イデアのコピーである地上の机や馬も永遠に存在しなければなりません。ところが現実の机は、やがて壊れたり腐ったりしてなくなってしまいます。何よりも馬は、成長し、年をとって、そして死んでしまいます。プラトンのイデア論では、この地上の生き物の成長や変化、さらには運動などを説明することができないのです。このことは、人間のイデアについて考えてみれば、もっと明らかでしょう。地上の人間は、生まれ、成長し、年をとって、死にます。しかしプラトンのイデア論では、この地上の人間は、人間という永遠のイデアのコピーでしかないのですから、ちょうど美術館に並べられた銅像のように、動かず、突っ立ったままでなければなりません。

哲学の未来へ

 このようにプラトンのイデア論は、作り物には当てはまっても、生き物には当てはまらないものだったのです。プラトンは、そのイデア論によって地球を説明しようとしました。しかし、自然界の運動や変化をうまく説明できず、自然界を寂しい作り物のかたまりにしてしまったのです。このようにプラトンのイデア論は、おかしい理論だったのです。プラトンにとって、この地球上の物は、生命のない単なる材料だったのです。
 そして、プラトンのイデア論には、イデアは存在するのかという問題、イデア論では、地球上の生き物の命をうまく説明できないという問題がありました。そしてこの二つの問題に取り組み、解決を果たしたのが、プラトンの弟子、アリストテレスなのです。

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