大分市の歴史と文化
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大分市ってこんなまち > 大分市の歴史
◆大分市の歴史

古代(紀元前~平安時代)中世(鎌倉~戦国時代)
近世(江戸時代)近代(明治時代~)


古代(紀元前~平安時代)・・・・「大分」の成立

 「大分」の名は、(※)西暦70~130年頃に活躍したと見られる第12代景行天皇がこの地を訪れた際、平野に開けた多数の田んぼが並ぶ様子を見て
「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名付くべし」
と言って名付けられた「碩田(おおきた)」が後に「大分」と書かれるようになり、その後転訛して「おおいた」となったのが始まりとされています。
 大和朝廷による全国統一が行われる前は、大分の地は何れかの豪族あるいは権力者が支配していたと見られ、その名残として市内にも亀塚古墳や築山古墳といった古墳や古墳群が東部を中心に点在しています。
古代にはこの地は「大分郡(おおきたのこほり)」と呼ばれ、現在の市中心部の南あたりに国府があったと推測されています。その一帯には、現在でも「古国府(ふるごう)」という地名が残っています。
 この地の民衆は早くから仏教文化を受容し、神仏に祈りを捧げていたと見られ、各地に石仏や社寺が多く建立されました。


※景行天皇の在位期間(景行天皇1~60年)を機械的に西暦に置き換えたおおよその年代であり、考古学的な確証は今のところない。



▲大規模古墳の例(亀塚古墳)


▲市内各地につくられた石仏
(写真は高瀬石仏)

中世(鎌倉~戦国時代)・・・・大友氏支配の時代

 鎌倉幕府の成立後、大友氏の初代当主・大友能直が豊後国守護に就任し、その後、第3代・大友頼康が当地に土着しました。以後、370年あまりに渡る大友氏支配の時代の始まりとなります。
 室町時代に、7代当主・大友氏泰が現在の大分川河口付近に大友氏館を築き、この居館 を中心とした城下町一帯が「府内」と呼ばれるようになりました。その城下町にあった大友氏の菩提寺である旧・万寿寺の遺構からは貴重な陶磁器などが発見され、この頃から先進的で高度な文化を取り入れていたことが伺えます。

 戦国時代になると、北部九州一帯を支配し、キリスト教を厚く信仰した21代当主・大友宗麟(義鎮)の下で南蛮文化が開化し、日本で初めて宣教師養成学校(コレジオ)や西洋式の病院が開設され、ヨーロッパ諸国との南蛮貿易などで、府内は大きく栄えました。しかし、これらも1586年の薩摩の島津義久の侵攻により多くは破壊されてしまいました。その後、22代当主・大友義統の改易により、永らく続いた大友氏支配の時代も終焉を迎えることとなります。






▲戦国時代には南蛮文化が栄えた
(写真は西洋式外科手術)

近世(江戸時代)・・・・府内藩の統治と街道の繁栄
 江戸時代になると、幕府の幕藩体制により現在の大分市域の大部分は府内藩となり、外様大名の竹中重利(たけなか しげとしが2万石で入り、初代藩主となりました。重利は安土桃山時代から建築が進んでいた府内城を改修し大規模な城郭を完成させ、港や城下町も整備するなど現在の大分市の発展の基礎を築きました。
しかし2代藩主の重義(しげよし)が改易(かいえき)されたため、下野(しもつけ)国壬生(みぶ)藩(現在の栃木県)から日根野吉明(ひねの よしあき)が入りますが、後継者となる嫡子がいなかったため再び改易され、続いて松平忠昭(まつだいら ただあき)が藩主となり、以降は松平家が10代で明治維新まで藩主を務めました。

 旧野津原町の今市(いまいち)地区や旧佐賀関町域は、熊本藩や岡藩(現在の大分県竹田市周辺)の領地として領主の参勤交代の街道や宿場町として栄え、幕末には坂本龍馬や勝海舟なども上陸しています。


▲府内城



▲宿場町として栄えた今市(石畳)

近代(明治時代~)・・・・大分市の成立と産業都市としての発展
 明治維新により廃藩置県が行われると、旧豊後国は大分県となり、府内には県庁が置かれ、1889年の町村制施行により大分町として成立しました。その後、1911年に市制施行により大分市となります。
 大分県の中心都市として成長を続けますが、太平洋戦争末期の1945年には大分大空襲によって市街地はほぼ全滅し、多数の犠牲者が出るなど大惨事となりました。
それでも戦後の高度経済成長の波に乗って、1964年に新産業都市の指定を受けると、新日本製鐵や昭和電工などの大工場が次々に建設され、九州を代表する工業都市へと急成長を遂げました。中心部には全国チェーンの大型商店が多数進出し人通りの絶えない繁華街が形成され、人口も、1963年時点で21万人であったのが1993年には40万人を突破するなど、全国的に見ても戦後から現在までにトップクラスの急成長を遂げた都市と言えるでしょう。

 このように、過去から現在まで、東九州の拠点都市として成長を続けてきた大分市。その歴史を伺わせる歴史や文化が、今も各所に息づいています。





▲臨海部に造成された工業地帯

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