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トップページ>忍者の歴史>室町時代~現代>徳川家康の伊賀越え
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家康の伊賀越え ―忍者の協力がなければ江戸幕府はなかった!?

伊賀越えとは畿内から東国へ行くときに伊賀を経由していくことを言います。伊賀を越えるということはとても危険なことでした。それは伊賀の山々に山賊がたくさん潜んでいたからです。

特に徳川家康が行った伊賀越えは有名です。この伊賀越えでは伊賀の忍者が大きく貢献しました。
同盟を結んでいた織田信長が本能寺で亡くなったとき(本能寺の変)、家康は40人余りの手勢を率いて堺にいました。本能寺の変により世の中は混乱し各地で一揆が多発していました。それゆえ家康は命を守るために自分の本拠地である三河に帰る必要があったのです。
そのときに堺から三河へ帰るのを手助けしたのが服部半蔵を中心とする伊賀忍者です。このとき家康は最短ルートである、甲賀から伊賀の険しい山道を経由して伊勢白子湊から海路で三河に行きました。
その際半蔵はいち早く伊賀に行き、忍者200人余りを味方にしたうえで、家康の警備をさせました。

元から、家康と伊賀忍者には深いつながりがありました。家康を助けた服部半蔵の父、保長は諸国を練り歩いた末に家康の祖父清康に仕えていました。
そのため半蔵は、徳川家譜代の家臣であるといえます。

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