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トップページ>忍者の歴史>室町時代~現代
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ここでは、室町時代から時代の古い順に忍者の歴史を解説しています。


~室町時代 戦国の世の忍者たち~

室町時代(戦国時代)では、権力争いや下剋上が多発し、様々な面で忍者が最も活躍した時代でした。
この時代の忍者は、味方の様子が怪しく下剋上が疑われるときや、相手の兵力を知りたいときなどに武将に雇われて諜報活動にあたりました。さらに相手の陣地に忍び込んで情報の錯乱を起こさせ相手を混乱させることも行っていました。 日本各地で忍者の多様性が見られ、呼び方も各地で異なりました。

戦国武将が使った忍者 右の表では、織田信長などの有名な戦国武将が使ったとされる忍者をまとめています。
この表を見ると、忍者が戦国時代の戦争の戦術にとても大きな影響を及ぼしていたことがわかります。

1581年には第二次天正伊賀の乱が伊賀(三重県)で起こりました。
この戦争は、織田信長と伊賀忍者との争いで、信長が伊賀征服をたくらんだことで起こりました。
結果、信長の圧倒的な戦力によりゲリラ戦術などで対抗する伊賀忍者を破りました。ですが、信長は兵士だけでなく多数の一般人を攻撃しました。
この戦いで傷つき逃げてきた伊賀の人々を徳川家康が保護しました。(当時、徳川家康は織田信長と同盟を結んでいました)
この出来事が、後の徳川家康の「伊賀越え」に影響しました。
⇒徳川家康の伊賀越えについて詳しく見る

1592年~1598年にかけての豊臣秀吉の朝鮮出兵では国際的な間諜[かんちょう](スパイ)が活躍しました。たとえば南京人の張昂[ちょうこう](日本名は孫次郎)です。彼は薩摩(今の鹿児島県)を拠点に、日本、朝鮮、中国を舞台にして活動しました。
朝鮮出兵では、表向きは通事[おさ](通訳)として島津義久[しまづよしひさ]に従軍しましたが、裏では交渉や情報交換などにあたりました。


~江戸時代 平和な世の中で~

平和な江戸時代には忍者は職につけず、山伏[やまぶし](山中の修行者)として呪符[じゅふ](お守り)を売る、薬を売る、商売をする、帰農[きのう]する(農家になる)などの道を選びました。
しかし、ポーハタン号で渡米した御庭番家筋[おにわばんいえすじ]村垣淡路守範正[むらがきあわじのかみのりまさ]や、江戸城の西丸奥医師[にしのまるおくいし]に出世した甲賀武士望月家の遠い末裔[まつえい]望月三英[もちづきさんえい]など、華やかに返り咲いた忍者もいました。

1853年に、浦賀(神奈川県)にアメリカのペリーが来航しました。
人々が黒船におびえる中、忍者がペリー艦隊の船にに忍び込んで内部を調べたという記録も残っています。

また、当時徳川幕府に仕えていた御庭番[おにわばん]と呼ばれる忍者は諜報活動を専門としていました。⇒詳しく見る


~近代・現代 情報網が広がる中で~

近代(明治時代~1945年)では交通の発達によって情報網がどんどん広がっていきました。それから現代(1945年~)では航空網もますます発達し、外国が遠くない世界になっていきました。
この時代、実際に忍者として活動する人々はもうすでにいませんでした。しかし、諜報活動に特化した人々として日本にもスパイが登場しました。
スパイについてはここでは詳しく触れませんが、敵国の軍備や、兵力などの情報を事前に入手して戦争や外交に役立てています。
また、一般的には現代にも国家にはスパイがいるとされていますが、やはり正体は正確にはわかっていません。

さらに、明治時代を過ぎると、忍者を扱った小説や忍者の特撮映画が出版・公開されるようになりました。
また、戦後には忍者を題材にした映画やアニメが盛んに放映され、国内外で人気を集めています。
観光資源として、忍者村や忍者学校などの利用も活発になっていて、外国人からも人気を集めています。

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