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トップページ>忍者の歴史>飛鳥時代~鎌倉時代
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ここでは、時代の古い順に忍者の歴史を解説しています。


~「忍び」の伝来~

紀元前500年ごろ、中国の兵法家、思想家の孫武[そんぶ]という人物が『孫子[そんし]』という兵法書を記しました。
この本の中には、次のような内容があります。

紀元前500年ごろ 中国 孫武著 『孫子』 間諜(現代で言うスパイ)の方法と解説が記されている⇒敵の隙をみて情報を盗み取り、それから軍の準備を行う


この歴史書「孫子」から、紀元前500年前には中国において忍びの基礎となる 諜報[ちょうほう]活動(現代のスパイ活動)が行われていたことが分かります。
後に諜報活動は中国から日本に伝来しました。

正忍記


また、1681年に書かれた歴史書の『正忍記』では上のように記されており、「忍び」が中国から伝来したことを示しています。

~「忍び」の発展 飛鳥時代~

中国から伝来した「忍び」は日本で独特な発展をとげました。

663年に勃発した白村江[はくすきのえ]の戦いで日本は唐と新羅[しらぎ]に大敗を喫しました。
この戦いで敗退した日本は、日本海側の沿岸警備を強化するために防人[さきもり]を配備しました。
ここでは狼煙[のろし]を用いて情報の報告、交換をしていました。このことより忍者はこの時代から信号を使い始めたと考えられます。

忍者の信号利用は諜報活動の基礎となるものでした。後の時代では、石や「五色米[ごしきまい]」と呼ばれる五色に着色された米を並べて情報を交換していました。


~奈良時代 「忍び」の発達~

奈良時代では仏教の政治介入や藤原氏の陰謀などがたびたび見られました。
しかし、大きな戦争もなく比較的政治は安定していました。
そのため、忍者による政治裏での諜報戦がかなり激しかったと推測できます。

このことから奈良時代では忍者の政治中枢部への介入が強まったことや、諜報戦が激化したことが考えられます。


~平安・鎌倉時代~

平安時代後期からは源氏と平氏の戦いや、院政時代の始まりに伴う権力争いが多く見られるようになりました。

また、源平合戦で活躍した源義経は下のような忍者との関わりがありました。

源義経説明

平安・鎌倉時代において、忍者は源平合戦の影で大きく成長しました。

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