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日本人のアメリカ渡航年表
参考文献:米国日語協会、一世史年表
写真:米国日語協会、一世史年表 1910年頃カリフォルニア州ウオールナッツグローブにあった日本語学校 1868年5月17日 アメリカ商人ユージン・バンリードが、153人の日本人労働者を横浜からハワイの砂糖プランテーションに送った。元年者と呼ばれた彼らは、初めての日本人海外渡航といわれている。グアムにも40人の日本人労働者を送った。 1869年オランダ商人エドワード・スネールが、福島会津地域から40人の日本人をカリフォルニア州ゴールドヒルに連れ、若松コロニーという農業定住地を設立する。(1年で失敗してしまった。) 1885年2月8日ハワイ王国と日本の二国間条約に基づき、944人の日本人が「官約移民」として三年間、ハワイの砂糖プランテーションで働く契約を結んだ。 1889年2300人の日本人がアメリカに住んでいた。大部分が学生や自由民権活動家だった。 このころからカフォルニアをはじめ西海岸に留学生から純然と出稼ぎを目的とする日本人労働が増えていった。 1892年5月アンチジャパニーズの運動開始。 1900年4月30日マックキンリー大統領によりハワイがアメリカに合併した。 1905年5月14日各地にあった親陸協力団体が中央組織として日本人連合協議会を結成した。 1907年「日米紳士協定」によって、日本人労働移民のアメリカ渡航が宣言された。 1908年在米日本人会として再出発―相互扶助と排日運動対策 1913年カリフォルニア州議会で、日本人の手足をもぐような法案が次々と出された。(外国人の土地所有) 1914年6月〜1918年11月 第一次世界大戦。 1922年ケーブル法制定。 1924年移民法制定―新規日本人移民の入国を全面的に禁じた。 1929年ジャパニーズ アメリカン シチズンズ リーグ(JACL)が結成された。 1931年 日本が満州を獲得。 1937年日米通商航海条約破 1941年在米日本資産凍結 キャンプ入りのための家具の安売り 1941年12月〜1945年7月 第二次世界大戦。 1942年2月8日 ルズベルト大統領の大統領令9066により、日本人移民をキャンプに収容する。 1943年2月1日 全日系人の第442戦闘部隊が作られる。 1947年 特別法により日本人「戦争花嫁」の合衆国入国が許された。 1951年サンフランシスコ講和条約。連合国の日本占領が終わった。 1952年年間185人の日本人移民入国を認めた。 1965年 新移民法を制定した。 |