ふりがなOFF

知るというだけで広がる世界

中東戦争(ちゅうとうせんそう)[2]

第1次(だいいちじ)中東戦争(ちゅうとうせんそう)

1948(ねん) パレスチナにおけるアラブ(じん)とユダヤ(じん)民族紛争(みんぞくふんそう)
    イギリスやアメリカが支援(しえん)していたイスラエル(ぐん)圧勝(あっしょう)

↓
パレスチナを占拠(せんきょ)して国家(こっか)建設(けんせつ)した

停戦(ていせん):1949(ねん)

戦後(せんご)状況(じょうきょう):イスラエルは国家分割案(こっかぶんかつあん)よりも(ひろ)土地(とち)占拠(せんきょ)したまま、独立(どくりつ)確保(かくほ)しました。
      1949(ねん)休戦協定(きゅうせんきょうてい)()められた境界線(きょうかいせん)グリーンライン」といい、
      現在(げんざい)まで国際的(こくさいてき)認知(にんち)されているイスラエルの領土(りょうど)
      また、国連(こくれん)分割案(ぶんかつあん)ではパレスチナ地区(ちく)とされたヨルダン川西岸(がわせいがん)、ヨルダン、
      ガザ地区(ちく)はエジプト(じん)獲得(かくとく)しました。パレスチナ難民(なんみん)()まれてしまった。

第2次中東戦争(だいにじちゅうとうせんそう)

別名(べつめい)スエズ危機(きき)

エジプトがスエズ運河(うんが)国有化(こくゆうか)発表(はっぴょう)
スエズ運河社会(うんがしゃかい)株主(かぶぬし)利益(りえき)()ていたイギリス、同時期(どうじき)(おこな)われていたアルジェリア戦争(せんそう)(うら)
エジプトの大統領(だいとうりょう)ナセルがいると(おそ)れていたフランス、
第1次中東戦争よりさらに支配地を拡大したかったイスラエルの3か(こく)発表(はっぴょう)抗議(こうぎ)
イスラエル(ぐん)はシナイ半島(はんとう)抑圧(よくあつ)したが、国際世論(こくさいよろん)非難(ひなん)され撤退(てったい)

停戦(ていせん):1957(ねん)

戦後(せんご)状況(じょうきょう):アメリカが味方(みかた)()いたエジプトの大統領(だいとうりょう)ナセルが勢力(せいりょく)(つよ)くする。

↑ PAGE TOP