別名(べつめい):六日戦争(むいかせんそう)
イスラエル軍(ぐん)がエジプトを一気(いっき)に攻(せ)め、シナイ半島(はんとう)、ガザ地区(ちく)を抑(おさ)えた。 また、北方(ほっぽう)ではシリア領(りょう)のゴラン高原(こうげん)と、ヨルダン領(りょう)のヨルダン川西岸地域(がわせいがんちいき)と東(ひがし)エルサレムを占領(せんりょう)した。
停戦(ていせん):1967年(ねん)
戦後(せんご)の状況(じょうきょう):この戦争(せんそう)によってパレスチナ難民(なんみん)が100万人以上生(まんにんいじょうう)まれ、そのほとんどがヨルダンに避難(ひなん)しました。 エルサレムをイスラム軍(ぐん)が占領(せんりょう)したことで、イスラム教徒(きょうと)は怒(いか)りに満(み)ちていました。
別名(べつめい):十月戦争(じゅうがつせんそう)、ラマダ戦争(せんそう)など
エジプト軍(ぐん)はシナイ半島(はんとう)で、シリア軍(ぐん)はゴラン高原(こうげん)で一斉(いっせい)にイスラエル軍(ぐん)を攻撃(こうげき)。 アラブ軍(ぐん)が勝利(しょうり)したと思(おも)いきや、イスラエル軍(ぐん)は体裁(ていさい)を整(ととの)え、シナイ半島(はんとう)の一部(いちぶ)しか奪還(だっかん)することができなかった。 また、アラブ諸国側(しょこくがわ)はイスラエル支援国(しえんこく)に対(たい)してアラブ諸国は原油販売停止(げんゆはんばいていし)または制限(せいげん)するという石油戦略(せきゆせんりゃく)をとった。 これは欧米(おうべい)や日本(にほん)にも打撃(だげき)を与(あた)え「第一次(だいいちじ)石油危機(せきゆきき)(オイルショック)*という」。
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